2012年1月法話

新年あけましておめでとうございます。本年一年皆様には平穏な良き一年であります事を祈念申し上げます。昨年は東日本大震災により多くの悲しみに包まれました。今なお爪痕は大きく、被災された方々は困難な日々を送っておられます。新年に当たり、「あけましておめでとう」の言葉は慎もうという思いの方も多いようですが、幸いに生を受け、生き続けられる人にとっては新年は大きな節目です。その節目を迎えられるという幸せを味わってもらい、「おめでとう」の言葉はこれからの一年の支えになってもらえるものではないかと思います。それにしても、もっと強く復興が目に見えるようになってもらえないものかと思います。与党も野党もこの復興に関しては、有無を言わずに取り組んでほしいものです。

新年とともに、私も動き出さなければ、何かをしなければと考えさせられます。新年すぐ、私の書道の師、野口白汀先生の遺墨展が開催されます。(1月7日~13日 上野の森美術館)野口先生がご逝去されてから早4年半、月日はあっという間です。その間、この遺墨展に向け、ご子息の野口岱寛先生はじめ東京書道会の役員会員が、一糸乱れぬ信念でここまできたことは、亡き師の大きさを感じずにはおれません。私も父亡き後、遺墨展を計画実行させてもらいましたが、これは書人としての一つのけじめと受け止めています。書人一人の筆にかけた生涯をつぶさに実感させられる思いです。亡き人の書を現すことのみならず、実行者はその人の書に対する思いを一心に受け止め、何をどのように見せるか、迷い苦悩します。私も千点近い作品の中から百点足らずの選別は大変でした。ここに岱寛先生を中心に、白汀先生の膨大な作品群から55点の選はそれはそれは苦悩そのものだったと思います。さらには立派な作品集(99点)、一点一点涙の出る思いで見ております。多くの方々に白汀先生の書業を見ていただきたいと思います。この遺墨展が終わると、新たな私の書作が始まるのではと思っています。それには今まで何を感じ、何を学んできたかが問われることでしょう。白汀先生からの指導はまだまだ続きそうです。

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お寺の昔の話の続きですが、私の聞き及ぶ話も残り少なくなってきました。
無住のお寺をほおって置くことは出来ず、宗務所、宗務庁、ご本山等で考えていただき、後住が当てられました。二十八世となった石室洞籌大和尚です。新潟の僧堂、種月寺の役僧だったようですが、詳しい経歴等は残っておりません。大正に入ってすぐくらいだったでしょうか。新潟から奥様とお弟子さん数名、付き人数人の来能だった様です。一行は一晩近くの斎藤家にやっかいになり、後日倫勝寺に晋山されました。無住で寺檀関係の損なわれたお寺の再興は並大抵ではなかったことでしょう。ご苦労が偲ばれます。それでも僧としては日々の行として経を読み、作務をしていれば、知らず知らず信が周りの人々に芽生えます。お弟子様方にも僧堂生活として厳しかったのでしょう。多くの信者が檀越となり、お寺を支えてくれるようになり、今日の基礎となってくれました。感謝感謝です。奥様は一緒に来てくれた女衆と共に、地元の女性達に針を教えていたとのこと、地道な活動が支えとなってきたことでしょう。新潟からの一向に、今の山田家の二人がいました。弟子としての山田顕量、女衆の一人としての馬場マスでした。後に一緒になり、ここに山田家として三代続いてきているのです。