2009年12月法話

境内にリスの姿

本年もあと1ヶ月となってきました。当地は寒さも加わり、温かいストーブの部屋に閉じこもりがちになってきます。とは言っても冬支度が追いつきません。日々の行事に加え、年末事務が始まり、壇信徒皆様へのお寺からのご連絡などの準備でパソコンも大活躍です。

先の師は全て手作業で1ヶ月以上コツコツと仕事をしていた姿が目に浮かびます。私の手伝いは昔のガリ版刷り、師は学校の先生をしていましたので手際が良く、一枚の原紙で済ませていましたが、私は早く終わりたいため急ぐのと、コツが分からないのでその原紙を反古にしてしまったこともありました。今では考えられない仕事でした。

それがパソコンになり、打ち込みを終えると後は出来上がり、楽になりましたが、その分こちらの気持ちをどうやって檀家の方々に伝えたらいいのか、実際にどう伝わっているのか不安になって参ります。誠心誠意注意を払い、言葉にできることは尽くしたいと思いながらの作業です。

世の中、選挙後の国会運営などでテレビで議論百出です。面白いといえば面白いのですが、実際どのような形で私たちの生活に反映されてくるのか、未だ不透明な気がします。国民の意思での政権変更ですので、どうなろうが委ねなければならないわけですが、今まであまりにも分からないままで物事が進んでいたんだなと思い、それがあからさまになってくると、やり過ぎかなと思ったり人の心は勝手です。

正義とはどこにあるのでしょうか。どこの目線でみた時に一般社会的な見方となるのでしょうか。全ての人の見方が違うように生活様式も違います。これは良くてこれが悪いという判断は時の権力だけで決めることができるのでしょうか。日本人はもっと緩やかな物の考え方で許すべき事は許してきたのではないでしょうか。それが今の時代を造った悪の根源だといわれかねませんが、判断を下してはっきりとしたことで対立が増すことも多くなるような気がします。そして人の心がギスギスしてしまうような気がします。

全てが人間の心を持った人です。歩み寄りたくてもできない人は寂しいと思います。そんな感じで政局を見てしまいます。

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さて、曹洞宗のご本尊様はお釈迦様です。ご法事などで仏壇にお参りし、手を合わせて(合掌)礼拝(低頭、お拝)をします。ご先祖様、いわゆるお位牌にお参りする以前にこのご本尊様にお参りをするという心を持ってもらいたいものです。お釈迦様のお姿に手を合わせていると、お釈迦様があなたをご覧になっています。正しい教えを授けてくれることでしょう。というより、真摯に本尊様と対峙するお気持ちそのものが清浄になられているという事でしょう。

その為にも、仏様には願い事はしないようにし、それ以上に感謝の気持ちでお参りするようにしたいものです。仏様は正しい教えを授けてくれますので、その教えで願い事が叶うよう、あなたご自身が日々善行を積み重ねしていくことで成就することです。

また、今ある自分をご先祖様にみてもらうことで感謝の気持ちを持つことが宗教としての行事であり、さらなる自己追求で生かされていることのありがたさを感じ、ひいては力を他に巡らしてあげるというところまでいければ最高です。その意味でもご先祖様に恥じない生き方をするということで、慎みべき事は慎む心を大事にしてもらいたいものです。