2009年11月法話

奈良・岩船寺

十一月、遅れに遅れた稲刈りもようやく済み、後始末に追われている時期、早くも寒さが来そうな気がします。年を取ると年々一年が短く感じるといいますが、私も実感として受け入れざるを得ない気がします。私のごく近い方でお亡くなりになった方も、お正月に「早いもんだね。あと二ヶ月でお涅槃で半年でお盆ですよ。そうすればまた正月だね」と一年を数分で過ごしている方がおられました。気が早いといいますか、口癖のような気もしましたが、どうも年を重ねると気持ちがはやるようです。母も八十二歳ですが、だんだんとそんな感じが強くなってきました。記憶も散漫になりがちですが、「畑をきれいにしなければ寒くなってしまう、雪が降る」と気が急くようです。そんな母を私のペースに引き寄せようとしますが、さっさと母のペースで事が進みます。

先日もニュースで介護の話がありました。これも社会情勢によることと思いますが、昔の如く何世代同居ですと一人でなく家のこととして皆で分担してきたことでしょうが、現代は大変なことと思います。しかし介護も、する方もしてもらう方も苦労は多いのですが、仏様の行、精進、忍辱、そして智慧の力で行うしか無く、そう思えたときは禅定がおとずれるのではないでしょうか。
年々早く感じる時も、あと二ヶ月で今年も終わります。一年の計の元旦の思いが成就できますよう、努めてまいりたいものです。

さて供養物についてです。以前香の話の中で、塗香、焼香の事を書かせていただきました。塗香は「持戒」にあたると書かせていただきましたが、焼香は「精進」にあたるということを加えさせていただきます。

様々な供養物でいっぱいのお仏壇は、最上に本尊・お釈迦様、右側に高祖道元禅師様、左側に太祖瑩山禅師様が鎮座されます。その下壇にお位牌、遺影、脇にお花、さらに下壇にお団子、供養膳、お菓子、果物、香炉、焼香炉。そして鳴らしものの鐘、木魚と揃えます。

お位牌はなくなった方々のお戒名を書いたもので、故人の霊が宿るとされるのですが、ご先祖様の位の牌とのことで、儒教の習俗から来ているのではともいわれています。仏様の位を得たご先祖様の尊名が書かれている礼拝対象の重要なものです。亡くなった時は白木のものを使いますが、本位牌は塗りの物をご用意します。それに忌日の供養札を付け、供養の対象とします。位牌は亡き人一人一人のものをつくるを旨としますが、○○家先祖代々のように一家に一つという家庭も多いようです。どちらでもご一緒に住まれる方にとっては寝食を共にするご先祖様と認めうる物で、大切に敬う気持ちを大事にしていただきたいものです。