2012年11月法話
霜月となりました。まさに霜が降り出しそうに朝晩は冷え込んで参りました。冬支度がまだすんでいない時期、急いで準備に大わらわですが、体の方も寒さに慣らさなくてはいけません。ちょうど風邪、インフルエンザも早々に流行しそうですのでお気をつけて下さい。
そんな折、当地は月初め1週間、種苗交換会が行われます。秋田県内順番に各地で開催し、今年は9年ぶりに能代市開催です。農家の人の一大行事で、人出も多く活気に満ちたイベントです。本年は皇太子様も秋田県内にお入りになった折、ご覧になって頂きました。農家の本質が様変わりしている今、このイベントの持つ意義をどこに求めたらいいのか、単なるイベントで終わるのか、農家をやろうとする若者の心をつかめるのか等、目的は大きいと思いますが、是非とも日本の農業の礎となるべきものであってくれたら、長年続くこの行事も大きな意義を達成したことになることと思います。
我が家の二男が永平寺修行からかえって参りました。少々遠回りをしましたが、意を決してお寺に身を投じる覚悟をしての修行生活でした。手の怪我で思うような動きが出来なかったこともあるでしょうが、寺に帰ってきてからやることの基礎をつかんでくれたのではないかと思います。今後、私と兄と三人でお寺を守っていくことになり、役割分担も考えねばと思っております。しかしまだまだ一人前になるまで時間がかかります。周りの人に支えられながら身を固めてほしいものです。
さて、師の書に「穏坐」なる作品があります。茶掛けに表装されており、落ち着いた雰囲気が何ともいえず好感が持てます。行書で自在に筆が動いており、そのなかに隷意の有る線もあり、師独特の作品になっています。禅語に「帰家穏坐」という言葉があります。師もそこからもらったことでしょう。帰家穏坐は大慧録、碧巌録など、種々の仏典に出てまいります。そのまま字のごとく受け取り「家に帰ってゆっくりとした気持ちで休む」ととらえることも出来ますが、仏家では家を本来の自己、本来の心、いわゆる仏性ととらえ、生まれながらに持っている本当の心に帰り安らかに過ごす、というのが本来義なのでしょう。仏性に立ち帰った自分はまさに穏やかな気持ちで、世間の煩わしさに揺れ動くことなく、ドンと坐することができるのでしょう。一つのことであくせくしない生活が望まれます。しかしなかなか出来ないのも確かです。母が死んで49日が過ぎようとしています。母はどの地に穏坐しようとしているのでしょうか。我々残された者の供養で少しでも安らかな地であってもらいたいものです。