2012年9月法話

暑い暑い夏が続きます。8月のお盆は墓参りが午前中大雨で参拝の方を悩ませました。墓前でのお経は本堂の施食壇前で行いました。それでもやはりお盆は仏教徒最大の行持、「墓参りにいかなければ」という思いが雨で止まることはありませんでした。毎年やっていることはどうしてもやらなければという思いが強いように思えますが、やるのとやらないのとでは気持ちの持ち様が違います。16日の施食会も雨、これもまた参拝大変だったでしょうが、例年並みの参拝者でした。法要に参列の方々は年々減少してはいるのですが、雨のためか少なめでした。例年通りのお盆供養の施食法要のあり方も少し考え直すときにきているのかもしれません。若い方の世帯も多くなり、施食が何か分からなかったり、どうしたらいいのか聞くことをしなかったりと言うことがあるのでしょう。我々の布教不足でしょうが、すべての檀家さんに呼びかけるとか、新亡供養を取り入れるなど、考えてみたいと思います。

8月はお盆前にオリンピックがあり、ロンドンということで時差8時間、真夜中の放送が多く、寝不足が続き体調を崩した人もいたのではないでしょうか。日本選手も大いに力を発し、過去最高数のメダルを得たことは賞賛されるべき事でしょう。私もサッカー、バレー、卓球など大いに興味を持ち、テレビにかじりつきました。嬉しかったり悔しかったり、笑ったり涙したり、スポーツの祭典は筋書きがないから、その時その時がすばらしいのです。そこまで気力、体力、技術を積み重ねてきた選手の並々ならぬ練習を思うと、1回戦で負けてしまった方へも大きな拍手を送りたいものです。また初めて出場した世界の地域の方々もいたようで、勝負にならなくとも参加することに意義を求めての挑戦に大きな拍手が起こるのも、テレビを通して伝わり、嬉しく思われました。

さて、師・黙窓の書に半切四曲屏風があります。師はあまり人の為に書くことはしなかったように思います。(その上の祖父は家に残すものがなくても檀家さんのためにたくさん書いた人でした。)この屏風は有るお檀家さんから特に請われての作だったようです。その方の家に一つ、そしてお寺に一つ残すということで2作書いたものです。

内容は禅林語句鈔に出ている「雲門胡餅 趙州茶 惠崇蘆雁 趙昌華」の14字、師であった井垣北城先生風の隷書で、わかりやすい上に強い線、きっちりした形、正に一つの究極の形といえるのではないでしょうか。中国の僧・雲門は、良い話を聞いたときは餅と一緒にその話を食べてしまったといわれる人でした。趙州という人は出会いを大切にし、何か問われるとよく「喫茶去」(お茶をどうぞ)と答え、一期一会を大切になさった人です。惠崇は詩や画をして、特に蘆や雁など花鳥を得意にされたようで、また趙昌は華の画が得意だったようです。

師・黙窓はこの北城ばりの隷書で“どうだ”と言っているように思います。若き時代の作ですが、気概が伝わってきそうです。