2009年8月法話

8月に入りました。年中でも一番の仏教行事、お盆の月です。当寺も早くもお盆モードに入り、境内地のお墓のある方も早くも草取り、清掃に訪れておられます。

陽性型の梅雨もようやく一段落、大水で冠水してしまった田んぼも勢いを取り戻し、穂を出してくれれば幸いです。それでも冠水した田んぼをお持ちの方は心中穏やかではないでしょう。先日近くの方に「先日の大雨での田んぼ大変でしたね。様子はいかがですか?」と聞くと「しょうがない。私の所は時間が短かったが、もっと多くの田んぼが水につかったんだもの。私だけではない」との言葉でした。自然には太刀打ちできない人間の小さな営みであることを農家の方は身につけているようです。しかしです。そこで人間は何をどうすればいいのか。政府に農業政策を厚くしてほしいとの陳情は毎年ですが、政府も税金の減少、各省のせめぎ合いで農業だけとはいかないようです。この時期の冠水はまだ穂が出てくれるとの期待を持たれますが、畑は病気がつかないように急いで抜いてしまわなければならないものもあるようです。汗の結集ともいえる根を、実を観ることもなく処分することは、涙の結集ともなってしまいます。致し方がないとはいえ、心中察するものがあります。

ましてや全国では、死者を出すような大被害、誰を恨んだらいいのか、どこへ訴えたらいいのか。人間は自分のことを最優先に考え、大地と共存というより、大地を強制的に変えてしまったような所があります。あちこち天地のひずみが大災害を引き起こしています。それを防ぐために多くの力が必要です。私にできること、個人的にできることはたかが知れていますが、災害が亡くなるようにしなければならないとの思いは皆様と同じです。そして毎朝のおつとめで国土安穏、国土の三災永く消せんことを祈っております。

そんな世間ではありますが、お盆という清らかな行は今も昔も変わることがありません。ご先祖様のみならず、衆生全てのものに供養する気持ちは尊いもので、理屈無く行うことこそ最大の供養です。やるとやらないとでは大きな違いが心の中に生じることでしょう。やったからどうなる、やらないからどうなるという問題ではなく、やることの行で自分の落ち着きどころを見つけることができるという意義は大きいと思います。父母は子に自分の行で教えてください。分からないことは祖父、祖母の行をまねてください。そしてお寺に来て、聞いて下さい。

また、8月は私の書家・欅庵としての一大行事であります恒例の「六葉会書展」が21日から24日まで秋田県立美術館で開催されます。一年間の書業を観ていただくことで、これからの勉強の糧とさせていただきます。多くの皆様のご感想をお聞かせ下されば幸いです。くれぐれも自己満足に終わることがないようにしたいと思います。

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さて、「六波羅密」の行について、次に供養物としてお花があります。忍辱行の功徳があると言われています。お花の供養にも、散華(仏の前に花を撒く)や盛華(瓶に入れて仏前に供える)等があります。どちらにしてもお花の形、彩り、においなどは供える人、周りの人、そして仏様に親しさ、美しさ、やすらぎを与えてくれ、まさに愛の心を生じさせてくれます。その心が怒る心、腹正しい気持ちを抑え堪え忍ぶことができるということで忍辱行とされます。このような功徳の花を荘厳に飾り、供養することは仏の徳を称える最高の供養となるでしょう。そしてお花を盛ってお供えするときは供える人に向けて飾りますが、これはお参りする人の心を清浄にしてくれるという、正に廻向に他ならないのでしょう。注意してほしいのは、毒のある花、とげのある花、根のついた鉢植えなどはお供えしないようにしましょう。

お寺の行事でも喜ばしい法要などでは散華をいたします。仏前に供えられたお香、清らかな水、花びらをかたどった錦紙で本堂内を清浄に、そして荘厳にする行です。声明とかぐわしい香りと共に飛び込んでくる花びらで参列の皆様の心も清浄になることと思います。その花びらをいつまでも大事に自分の仏壇にお祭りしている方も多くおられます。