2015年6月法話

6月に入りました。愛犬との毎朝の散歩も、田植えの済んだ景色の中になりました。すがすがしい気持ちにさせてもらっています。朝5時になりますと、決まって農家の方が軽トラックで田んぼに出勤です。スコップ、刈り払い機を持って水の管理とあぜ道の草刈りです。農家の方に一年かけて作ってくれたお米を頂いている私たちは、この努力に感謝しなければなりません。その農家の方も、年々齢を重ねています。10年前の方がそのまま現在も同じく動いています。あと10年すればこの方達も老齢で稲作も難しいことでしょう。あとを受け継いでくれる方がどれくらいいるのか、心配です。若者が農業に定着できるよう、工夫しなければならないことだと思います。国、県、市町村、農協、皆考えていることでしょうが、これぞという方策はまだでしょうか。動けるだけ動いている今を大事にすることは、それこそが禅です。

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倫勝寺法会を今年も行わせて頂きます。本堂に書作品を並べ、この時期花盛りのサツキを配して、いつもとは違った禅の空間を味わって頂きたいと思います。今年は例年より花期が早く、既に昨年出品した鉢は盛りを迎え、遅咲きのものが今年は本堂に入るようです。私が手掛けていますが、勉強不足でいつまでたっても盆栽と呼べるものではなく、サツキ花物として、花が咲いていればいいという感じです。ご勘弁をお願いいたします。

せっかくの禅空間、朝は坐禅とお勤め、夕方は住職との語らいの茶話会、そして日曜日はお茶会と趣向を凝らしていますので、楽しみに来場下されば幸いです。さて今年は師匠の作品は何が良いか、たくさん残してくれた中からあれやこれやと思いを巡らせるのも楽しみです。私、住職の作は4月に秋田で開かれた六葉会書展の作を中心に、6~7点になろうかと思います。

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師の作品に、「游魚動緑荷」という半切作品があります。6月というので緑の入った作を選んでみました。この五字句はあの坂本龍馬の言われた語のようですが、漢詩の中にもあるのやら、墨場必携には夏の部に入っており、出典は掲載されていませんでした。龍馬はあの時代での変換を求めていての語のようで、魚が遊んでいるだけでも浮き草を動かすというのに、この時代を動かす人は未だ出てこない、というような語だったと思います。

魚は浮き草を動かそうとして泳いでいるのではないのですが、泳ぐと動いてしまう。時代の変化も時と共に動くようになるのですが、それには大いなる希望と正しい予期を必要とします。大いなる決断をするときはいつか来るのですが、その後の良きことを念じ、そのことに責任を持つ覚悟が必要です。
魚が遊ぶという語で思いをはせるのは放生会です。仏教では戒の第一に不殺生戒を説きます。毎日毎日、いろいろな命を頂戴して我々人間は生かさせて頂いています。いたずらに殺生するのではなく必要な分だけ頂戴しましょうというのが教えです。その命を頂く私たちがその戒めとしてお魚を池に放す。小鳥を空に放すというのが放生会です。そのことで私たちも心救われ、命に感謝することが出来るものと思います。

師は何を思いこの語を書いたのか分かりませんが、少し若い頃でしょうか。安定した行書で乱れるところ無く一幅にまとめています。表装も緑荷に合わせ薄黄緑の地模様のある生地を選んでおります。いつまでもかけておきたいと思える一幅です。