2015年1月法話
新年あけましておめでとうございます。皆様健やかに新年を迎えられたことと思います。
12月より降り出した雪も一度も解けることなく新たな雪が降り積もっていきます。早くも雪での事故、災害も発生し、自然との闘いも多くなってきています。異常気象のもたらすことなのでしょうか。しかし元日ともなるとやはり気持ちもリフレッシュされ、何となく心が弾むものです。そして今年こそはと意気込むこと多々あろうと思います。そんな一年の目標をしっかり身のあるものにするためにも、この元日よりはじめましょう。明日からではだめ、いつまでも実現しません。
さて私の今日から、は何でしょうか。日々その日を充実して生きること、リズムを崩さず体をいたわること、一年の行事を無事に務めること、その一つ一つに新たな試行を加え充実したものにしたいこと、心の高揚させるために美しい花を咲かせること、その地道な水やりを忘れぬ事、毎日目標を持って書に向かうこと、私の我が儘な書が一人でも多くの人に感動を与えられるものになること、家族が健康で笑いのあること、列挙すればきりがありません。すべて絵空事ですが、一つでも確信の持てるものが出来ればと思います。こんな浮かれた私ですが、諫める一つの話があります。かの有名な一休禅師は、ちょっと風変わりな僧でしたが、お正月にも一つお話があります。お正月気分の街中を一休さんは竿の先にどくろを乗せて歩いたそうです。それを見た民衆はなんと馬鹿なことを!お正月気分が台無しだ!と叫びます。しかし一休さんは、皆浮かれてどうするのだ!我々は必ずこのどくろになるんだ!と叫んでいたのです。皆、いつかは死してどくろになることは分かっていても、浮かれることもあります。そんな時だからこそ自重しなさい、日常底になりなさいと諭されておられたのではないでしょうか。まさに浮かれ過ぎへの戒めです。
どうぞ皆様一年良き日暮らしでありますようにご祈念申し上げます。
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一年の初めにあたり、師のまじめな一面を如実に表した一幅を出してみました。我々僧が身だしなみを整え、法事葬式の時に付けるお袈裟を頂くときに唱える偈文があります。
大哉解脱服 無相福田衣 披奉如来教 廣度諸衆生
(大いなる哉、解脱の服よ、一切の執着を離れて幸福をもたらす衣よ。
如来の教えを身につけて、すべての人々を悟りの浄土へ渡さん。)
袈裟のことを師と思い、尊い仏舎利の塔であると思い、頭の上にのせ合掌してお唱えします。
作品は半切の二行、隷書で少し線を細く八分を付けた、師としては若いときの作ではと思います。線の鍛え方のせいか少し堅苦しい思いもありますが、偈文を書く上ではこのような書き方が当然なことと思いました。このような基本に則した書の上に、自由な思いの書が出来ることなのでしょう。お正月にあたり、身心を正してくれる作です。