2014年4月法話

 春4月、なにもかも新しい月が始まったような気がします。新学期、新入生、新社会人、希望に満ちた輝かしい装いに桜の花も競っている感がいたします。いつまでも、いつまでもこの心のわくわく感、緊張感が続いて充実した生活が続くことを念じています。

桜の花はあっという間です。満開になっても雨一度で花の命を終わらせます。そして次の花の為に機が熟すのに備えます。人の生活も一山を超え、次の山に向かい進み、その山を超えたときが幸せを感じるときです。

去る3月26日はお涅槃会でした。その折りの月宗寺・袴田俊英老師のご法話は、幸せとは何かを訴えかけてくれたようです。法要準備でゆっくり聞くことは出来ませんでしたが、ああでなければいけない、もっともっとと、他人と比較したり望みを大きくしたりせず、その時その時の満足感が幸せと受け止め、自分だけではなく、他の人の幸せを喜び分かち合ってこそという趣旨だったと思います。少欲知足の教えが仏教にあります。他の人に向かっての少欲知足はいわず、自分にその意を感じることが、仏教を行じる事、少欲知足は自分が目指すことと意識していきたいものです。

お寺では参道の工事が始まりました。いままで下駄で歩くとシャリシャリと小さな砂利が敷き詰められた参道でしたが、その砂利が手に入らなくなり、ついに石で畳むことにしました。本堂、庫裡の玄関から参道途中の観音堂までですが、御影石が敷き詰められます。それもまた一つの風景になることでしょう。今度はカランコロンと下駄が鳴るのでしょうか。あと一ヶ月くらい工事が続きます。ご迷惑をおかけします。

また、私の書の展覧会(六葉会書展)が4月11日から14日に秋田市アトリオンで行われます。この1年間書いたものから、出来が良かったもの、壁面の構成を考え8点を選びました。どのような展観になるのか自分が楽しみです。ああ良かったと満足できるか、この作にちょっとなーと思ってしまうのか!どうぞ皆様お時間ありましたら観て頂き、感想をお寄せ頂ければ幸いです。

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師の作品を紹介します。春の詩のものを探して掛けてみました。六言句です。王維の詩、田園楽七首のうちの一首です。

桃紅復含宿雨 柳緑更帯春烟 花落家僮末掃 鶯啼山客猶眠
桃の花は夕べの雨を含んでいっそう紅色あざやか、柳は青さを増して春の霞にけむる、花が庭先に散るも召使いの少年は掃き清めたりしない、鶯がしきりに鳴くのに山荘の主はまだ夢うつつ

王維の生活の一部を切り取った春の朝の景を写した詩ということでしょうか。王維は鶯が鳴いても眠っており、召使いは朝寝に遠慮して庭も掃除しないでいるという詩ですが、春のまどろみはいかにもこのような気持ちにさせてくれる穏やかさがあります。こちらは桃も柳の緑もまだ先ですが、このような春を待ち望んで厳しい冬の寒さを堪え忍んできたのです。幸せな時間と感じさせてくれる内容の詩です。父の平成13年の作品のようです。レン落3行にいかにも父らしい字体の行書です。線に力があり、無駄な線が一本もなく、計算して書かれているかのようです。しかし父は計算で書を作ったのではなく、長年の勉強がなせる“腕の技”と言えると思います。柳の一字のみを少し終筆をのばし、作品に空間を与えています。