2015年8月法話

東北北部も梅雨が明け、暑い暑い日差しが差しております。7月中頃までの少雨も一段落したと思ったら、早くも稲の穂がちらほら顔を出してきました。間違いないものですね。時を知って子孫を残そうとしています。その穂を我々が生きる糧としています。この暑さがなければまた違ったことになってしまいます。在りがたいと思わなければいけませんが、いかんせん汗だくの壇務に気持ちが疲れてしまいます。本月はお盆の月です。亡くなったご先祖様をお迎えして僅かな時間ですが共生きをし、報恩の気持ちを形にします。毎年の事ですがこの時期をいかに迎え過ごすのか、各家庭それぞれですが、しっかりと気持ちを込めて行ずる事が次の生活の礎となろうかと思います。単なる儀式、習慣とは違うと言うことを感じてもらえればと思います。

そしてお盆最中の15日は終戦記念日です。本年は70年の区切りです。不戦の誓いを立てて70年、早いものです。国会では何とか法案が示され、討議最中です。宗教、とりわけ仏教は人と人と、国と国との争いはしてはいけないことになっています。すべての国が仏教国になればいいのですが、主義主張の違う人はそれぞれの立場で己を正当化していきます。かつての日本もそうだったのでしょうか。時代の風を良き方に持って行けると良いのですが、世界中での争いが無くならないのは残念な事です。しかしやはり日本人として今後の日本を守り通そうとする時、何を主張し何を持って他と和していこうとするのでしょうか。政治も一つ、宗教も一つの手段です。その時その時のリーダーは間違いの無いよう最善を尽くしてもらうことしか在りません。

夏の風物として花火があります。能代でも7月一万五千発の大きな大会がありました。残念ながら雨の中ということで、会場では大変だったようです。秋田県には大曲の花火大会が全国的に有名です。競技花火で花火師さんの腕の見せ所、この年齢になりまだ会場に足を運んだことがありませんが、今年は義兄弟のお世話で行ってこようと思っております。好天を期待しています。あの美しい花火も綺麗なのは一瞬です。火薬の仕込みから苦労を積み重ねての花火もあっという間です。これも人生の集大成を見ている気がします。露の如くの命も花火は美しさを人々に残して消えてしまいます。人生も美しいときは短くとも精一杯大きく咲かせたいものです。人と競うのではなく人それぞれに!!

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師の作品に蘇東坡の詩があります。

返筆如山末足珍読書萬巻始通神・・・

意味として使い古した筆が山のようになってもまだ書が優れているとはいえない、萬巻の書物を読んで初めて神妙に通じる・・・という詩です。何事もここまでやったのだから良いだろうということはありません。自己満足だけではだめです。一つ事に秀でているとしても人としてはどうか、そこが問われてきます。詩はまだまだ続くのですが、皆様ご存じのことと思います。

師は小字の隷書で丁寧に書いています。自分への戒めの言葉として書いたのでしょうか。師は墨をするときは必ず本を読んでいました。慣れると何でもないのでしょうが、少々疲れます。時間を無駄にすることなくすべてを薬として自分の力にしようとする師の思いが感じられます。