2015年3月法話

 3月に入りました。何となく気持ちがうきうきしてきます。3日は桃の節句、お雛様を飾り女子の成長を願い、桃も咲き始める頃でしょうか。お寺の方も春彼岸もあり、寒さも吹き飛んでしまいます。といっても本年は早くも雪が消え、例年とは少し様子が違っています。彼岸の頃には昨年の落葉の後片付けをしなければならないのではと思います。しかしもう少し万が一の雪、寒さに気をつけていなければ。

先般、仲間とミャンマー旅行をしてきました。気心の知れた仲間と家族との気楽な旅でした。ミャンマーと言うよりビルマと言った方がなじみがある気がしますが、大戦の影響により国が大きく左右されてしまったのは、目の当たりにしますとなんとむごいことをと感じます。不戦の誓いを立てる日本ではありますが、当時の力任せの仕業は反省しなければなりません。日本人の戦死者20数万人の慰霊碑を、現地の人が綺麗に掃除をし、芝を守ってくださっていることに感謝申し上げます。

ミャンマーは三大仏教遺跡・バガンの寺院、パゴタは何となく日本の田舎を思い出させる風景に、異国にいる緊張をほぐしてくれたような気がします。4千数百基あったのが現在は2千数百基といいますが、至る所に塔が立ち当時の力の誇示と仏教信仰の深さを感じさせます。近い将来は世界遺産になることと思いますが、現在の姿を維持することも大変なことと思います。仏教国ミャンマーは部派仏教で、日本とは大差があるのですが、お坊さんへの尊敬の念、対応の仕方はすばらしいものがあります。その上で、仏教信仰とはちょっと異なる現世利益的の参拝も少し日本とは違う感じがします。また、ヤンゴン市内の大寺院の塔も金箔の大きなもの。金の産地とはいえ、わびさびの日本では考えられないほどきらびやかな塔に圧倒されます。いろいろな世界を知ることがこれからの私の生活に何かしらプラスになるのではと思っています。

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さて、師の書に半切三行の行書作があります。だいぶ前の作と思いますが、道元禅師の詩を書いています。師は禅句的なものを題材にした作はありますが道元禅師のものを題材にしたものはあまりなく、この作が極まっているのではと思います。師は隷書をよく書いていましたが、その前は細かい楷書、行書を習い、そちらの方は誰にも負けない作があります。これもその部類に入る作で、几帳面な趣の教科書的な行書で、三行をよくまとめています。

内容は「西方インドから伝わった禅の祖、達磨様の心を私は日本に伝える。漁師が釣りをし農夫が耕すのに似て、私も修行に励み古風を慕う。ここには世間の煩わしさは少しもない。いま私は深山の雪の夜の小庵に坐っている」

釣りをするにも釣りに徹し、耕すにも耕すに徹する、いわゆる坐禅の無心に只管にという事に通じるものとして、この詩を我が宗で大事にする所以だと考えます。「耕月釣雲」「慕古風」の禅句はよく書かれます。この詩から出たものです。書く時は書くに徹することが肝要です。私もそうありたいものと思っています。いや思うていてはいけなく、ただただ書くのみです。