2014年11月法話

11月、霜月となりました。月名の如く、10月末にはあられが降りました。寒さを日一日強く感じる今日この頃です。

この時期は農作業を終えた農家の人々の祭典“種苗交換会”が開かれています。発会当時はまさに種苗を持ち寄りお互い交換し合ったようで、農業振興に大いに役立ち農家の人々の気持ちも高揚したことでしょう。今はまさに祭典で、作物展示、機械器具販売、意見交換とイベント形式のようです。素晴らしい作物が並ぶ場所でも、先行き不安の農政に、今ひとつ農家の人の気持ちも浮かないのではないでしょうか。日本人も国外の人にも、すべて良くすることは出来ないのでしょうが、「このようなことがあるからこうしたら良い」という処方箋があれば役立つことでしょう。食文化は世界に誇れるものですので、ここで踏ん張っていただきたいです。

本年は国民文化祭が秋田県で開催され、10月から1ヶ月間、様々なイベントが開催されています。秋田市はやはり人口も多く何をやるにしても観客も多いのですが、そのほかの地域では観客の奪い合いの様子ではないでしょうか。私が関係した書道団体でも権威のある賞を付けての展示会がありました。また震災復興応援のメッセージ展もありました。これもまた会場の奪い合いで、せっかくの作品も会場の雰囲気が少しもったいない感じがしました。それでもこのような催しを1ヶ月間それぞれの地域で開催できるエネルギーが、まだまだ県内にもあることを力に、新たな企画が台頭してもらえればと思います。

我々が2、30年前に青年会や梅花にと飛び回っていたことが、今息子達の番となっています。曹洞宗青年会の東北大会が先頃秋田市で開かれました。青年会の集大成ともいうべき事業でした。この2年間は神仏習合、神道と仏教の関わりをテーマに勉強会を開いてきましたが、この大会はかの竹田恒泰氏を招いての講演会、そして大震災追悼法要が行われ、秋田キャッスルホテルの会場一杯の人に支えられ、無事円成できましたことは、すばらしい力であったと思います。当時の我々の若さも、思い起こされました。

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さて、師の半切作に「常在霊鷲山」の一行書があります。
常に霊鷲山にあり、とは法華経寿量品というお経に出てくる一句です。意味としては、お釈迦様は永遠不滅にして、いつも説法していた場所、晩年よく過ごした洞窟のある霊鷲山に存在して、宗教的な力を今も発揮し続けている、ということでしょうか。インドラジオールから5キロほどの小高い山で、山頂が鷲の姿に見えるといわれます。

師はこの句を篆書で書いております。篆書作はそう多くはありませんが、隷書で鍛えた線の強さで揺るぎない形を半切にまとめています。この五字は五字としてのみではなく、お釈迦様を書いているのだというような雰囲気を醸し出しています。師の力、偉大です。