2012年3月法話
3月の声を聞くと何となくうきうきとした気持ちになってきます。春だなぁという思いでしょうか。しかし現実は軒下、屋根につかんばかりの雪の山で、一向に解けてくれそうもありません。三寒四温、暖かい日は少しずつ多くなるとそれもいずれ無くなってくれるでしょうが、厄介者です。一日も早く無くなり、春現実となってもらいたいものです。
桃の節句、女の子をお持ちのご家庭では家の中はもう春盛りでしょう。子供の成長を願い、美しいものへのあこがれ、豪華なしつらえへの望み、等々の期待を込めてお雛様を飾ります。数ある季節の節目でも華やかな行事です。これも人間の欲するものが春と共に大きくなるためなのかなという感じます。こんな行事も人生にとって大事ですね。女の子も高校生くらいになると干渉されるのを拒み、何となくお雛様もお荷物になってしまいます。我が家の娘もようやく学業を終え、就職することになりました。現代事情で就職もままならない時代に、正社員とはいわずとも一つに引っかかってくれた努力に拍手を送りたいものです。社会に出てからの厳しさを知るのはこれからでしょう。仕事になれるまで上からの厳しい指導、叱責を素直に受け止め、早く業務に就けるよう祈るばかりです。
3月11日ももうすぐです。災害に遭われた方々のこの一年の過ごし方を考えるに、物の無いことでの辛さ、さらに望みを持ち得ない寂しさからの辛さで寒さもひとしおのことと思います。政府や団体、個人個人の多くの方からの温かい手に感謝しながら、今ある命をどう生かしていけるか、大きなステップを踏める日が早く来ることをお祈りいたします。その一助になるかどうか、我々も当日は、犠牲になられた方への供養のため、生きていく人のための希望の鐘を鳴らそうと思います。
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昔お寺のお話です。祖父(29世)は時代も時代でしたから、さらにお寺を焼失したことでの一文無しからの出発で、旺盛な好奇心の為もあったのでしょうが、食べるために様々な事をしました。畑、田んぼ、さらにはニワトリやヤギの飼育などを手掛けました。祖父はやりたいと段取りや用意はしますが、生き物相手の毎日の世話は祖母、父、母の役目であったような気がします。ニワトリは20羽位いたのでしょうか。春にひよこが届いたときは姉と大喜びした気がします。可愛さばかりで、大きくなってしまえば怖くて逃げ回っていたのですが、家族みんなで事に当たっていた気がします。ニワトリ小屋は粗末な物でしたが、毎朝産みたての卵をちょうだいできたのもニワトリのおかげでした。大騒ぎしたのは度々でしたが、原因は粗末な小屋の中にイタチが入り数羽いなくなっていたとき、大きな青大将が卵を取りに入っていたとき、全く野趣そのものの姿でした。
そんな危険から残ったニワトリは、年末には数羽いなくなってしまいます。年末年始の為の貴重な食材になってしまうのです。当地はきりたんぽ、だまこ鍋が有名ですが、お正月にはその鍋の具やダシに使っていたのです。父はニワトリをしめるのが苦手だったようで、祖父がやっていたようです。。そんな殺生なと思うのですが、我々生きるために他の命を頂戴している身としては、誰かがその役をやらねばならないのです。祖父はそんなことを思い、経を唱えながら命を頂戴していたのでしょう。その現場は一度も子供に見せたことがありませんでした。経の教えに、「浄戒を持たん者は販売貿易し、田宅を安置し人民奴婢畜生を畜養することを得ざれ」とあります。全く反することですが、現実生きることは教えを破っていてもやらねばならず、誰かに頼っていくしかないことを分かっていなければなりません。ありがとうと手を合わす気持ちが大事なこととなってきます。