2011年5月法話
五月、大型連休です。こちら秋田は少しづつ早まっていた桜の開花が今年は雨と寒さでちょうど今見頃となりました。休みを利用してのお花見、大いに賑わう事でしょう。とはいえ、大震災の影響でどこも自粛気味で大賑わいとなるかどうか心配です。桜は地震があろうが、雨が降ろうが、咲く時を忘れず咲かせてくれます。それが桜が桜としてあるべき姿です。綺麗に咲かそうとか、早く咲かそうとか、ゆっくり散らそうとか、そんな配慮はありません。気候にまかせ、咲く時は咲いてくれます。それを賞でる我々人間の眼が、その時その時によりいろんな桜を生み出します。今は{震災復興を後押ししてくれる様な気がする}、{桜を見ると辛い毎日を一瞬でも変える事が出来る}、という思いでしょうか。まさに花にはそんな力があるのです。美しいものを美しいと見れる時は人は人として確かなものを持ち合わせている証しです。
美しさは花だけではありません。復興を後押しするボランティアの人々もそうです。あの歌手、あの俳優、あのアスリート等々。皆心からの思い、行って何かをしてあげたいその一心での行為でしょう。それが受ける人にとっては存在が大きければ大きい程感動的で受ける言葉にも行動にも納得出来る事が多い事でしょう。
我々僧侶もそんな存在になるべきで、地元の宗教界あげて心の支えになるべく努力している話も聞いております。ボランティアで青年会中心に多くの僧侶が物資を運んでいる姿も見ております。少しでも早く被害のあった地区の御寺院様がお檀家様の為に向き合う事が出来る様、支援出来ればと思っております。私は少しの物資を出す事と、心で被災者の気持ちを思いながら時あるごとに経を読む事で、早い安穏な生活を祈念する事しか出来ません。しかし、その繰り返し、ごく当たり前の生活を通して、被災者に届く様、前向きに生きる努力をしなければと思います。歌手の人は歌を歌う事で、画家の人は絵を描くことで、スポーツ選手は精一杯に根性を出し切る事で、それを見てくれる人々は何かを感じ次のステップに向かうことが出来るのではないでしょうか。何も出来ないと悩むより、出来る事を真摯に続ける事で、生きる力を感じてもらえる事が出来ると思います。
被災してしまい 一人になったと思っても孤独ではありません。日本のみんなが応援しています。世界中の人が応援しています。さらには周りにいる人すべての人が支え合っております。避難所の皆々、ボランティアの皆々、一人一人何の利を求むることなく出来る事をやってあげたいという思い、まさに菩薩様の行いです。あなたも菩薩様、何も出来なくともありがとうの一言、笑顔を返す事が菩薩行です。する側される側の隔たりはありません。一つ一つの行為が合掌のお姿、仏様のお姿となります。全てを失ってしまった方も、その新しい生活が夢多き生活であります事を願い、今は苦しい日々かもしれませんが、しっかりと地に足をつけ歩んでいって欲しいものです。