2011年3月法話

春3月、2月中旬より穏やかな日が続き、雪のほとんどを消してくれました。春近しです。海沿いの当地だからこそですが、内陸ではまだまだ雪との戦いです。寒さ離れの彼岸会までまだもう少し、一度や二度は寒さと雪がやってくることを覚悟しておかなければなりません。

世界では政情不安が多くなってきています。いわゆる独裁といわれた国々の民主化運動ということでしょうか。情報伝達が向上した由のことなのでしょう。一人の力ではどうしようもない事が多くの人と思いを共有する事で大きな力となっています。力と力がぶつかると失うものも出てきます。良かれと思っての統治も、現実を知った人にとっては思い上がりでしかなくなってしまいます。力の誇示も人の命を傷つけぬ様な方向に行けばいいのですが。過去の歴史の如く、革命変革には戦いの事実があり、争いはやむを得ないのでしょうか。そこに、命を捧ぐ人々の気持ちの強さは並大抵ではないのでしょう。今の日本では、そのような底から沸き上がる力を持とうとする気持ちの人はどのような形で現そうとしているのでしょうか。各地の争いも、宗教がらみも当然あるのでしょう。信ずる宗教をベースとしている人は強いと思います。生活にも気持ちも安定があろうと思います。安定の上にも向上心を社会のために!と思いますが。

また、自然災害も後を絶ちません。宮崎県の火山噴火。ニュージーランドの大地震。お見舞い申し上げます。自然相手では避けられないとはいえ、人間の力の及ばぬものの多いことを改めて感じさせられます。自分だけは大丈夫と思わず、備える気持ちを固めておかなければなりません。

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さて、先月の続きです。昭和29年4月7日の火災は、檀信徒の皆様へも大きな不安となったことでしょう。前年に完成したと見られる位牌堂もあっという間に焼けました。火は4キロ離れた所からも見え、多くの人が援助に駆けつけてくれたようですが、人の力ではどうしようもありませんでした。位牌堂の位牌を持ち出した方もおられ、現在でもご自宅に当寺の立派な大きな位牌を安置されておる方もいます。あの位牌の大きさから、厨子の大きさもうかがわれます。何もかもが残念としかいいようがなく、申し訳なかったというしかございません。そしてその日から長い仮住まいが始まります。私が大きくなるまで、お寺とはこんな所だと思っていた住まいは今から見るとまさに小さな仮の宿。10畳の仏間に8畳の客間、10畳と2畳の生活の場、そして6畳の観音堂であったという作業小屋を引っ張ってきての寝床。そこに10人の生活がどんなものだったか、思い知らされます。ご本尊様は檀徒から寄進のあった木彫りのダルマ様と観音様でした。紙で作った供華は大きかったなぁと思います。その仮寺でも檀徒の方はご法事によって下さり、鐘と木魚の音が止みませんでした。信仰というのは形でなく気持ちであることを今思い起こされます。しかし立派なお寺焼失の事実は檀徒の皆様にとっても大きな不安と辛さがあったことでしょう。総代さん役員さんとの復興話がすぐに軌道に乗らず、かなり遅れてしまったことにも、お寺に住む者にとっての不信感があったためではないでしょうか。