2011年2月法話
新年も1ヶ月が過ぎ寒明けです。しかし今年の冬は、というか今年の雪は異常でしょう。ラニーニャ現象のせいで日本に寒気が降りやすくなり、日本海側の大雪、太平洋側の乾燥になっておるとのこと。雪には慣れっこの秋田の方々も、「もう雪を見るのがいやだ」「朝起きるのがいやだ」という声が聞かれます。当能代は例年並みで少ないのですが、山間部、内陸部では一番の大雪、さもありなんという気がします。朝起きて4,50センチが毎日だそうですから!老体にむち打っての除雪、雪下ろし、排雪、大変な労力です。行政も対策と費用を打ち出していますが、自然が相手、いつ止むとも知れぬ雪にあくせくしてしまっています。くれぐれも“お体ご自愛にて”と言いたいのですが、体より家がつぶれてしまうとのこと。あと1ヶ月ほど、融けたら水の雪との戦いです。
年末から心温まるお話が聞かれました。タイガーマスク現象なる言葉まで生まれ、各地で施設に対するご寄付が続いています。マスクで顔を隠し新しいランドセルの配達、何とか世間のお役に立ちたいとの思いが行動へと揺り動かしているのでしょう。清らかな気持ちで心のこもった(文房具から現金数百万円まで)贈りもの、有難く受け取る施設、まさに布施行です。マスコミの報道も大きく影響しているのでしょうが、各地に広まりました。多くの方がこれなら自分も出来るという思いで、見返りを求めない純なる行為です。年末助け合い、赤い羽根などの募金がマンネリのせいなのでしょうか。なにかしら社会の役に立っているという思いが大きな生きる糧にもなると思います。
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さて、古いお寺の話の続きですが、写真も残っておらず語録もなく、今まで数人の方からのお話をもとに続けていましたが、ここでお話が切れてしまいました。というのも、私が生まれた年に本堂、庫裏、位牌堂などが全焼してしまいました。昭和29年4月7日夜のことと聞いています。春先で乾燥していたのでしょうか、古い木造で火の回りが早かったのでしょう。何一つ運び出せずに燃え尽きてしまったとのこと。お寺を守る者としてあってはならないことですが、実際となってしまったのです。ご本尊様はじめ仏像、貴重な礼拝対象物、仏具、檀家さんの記録、過去帳、家財道具すべてが灰に帰してしまいました。祖母は3歳の姉を、母は私を背負い、廊下からどんと庭に降りたきり、人の命が一番でしょうが、先々代、先代が運び出したのがタンス一棹では何とも残念でなりません。断腸の思いだったことと思います。
姉は今でも燃えさかる炎を覚えているといいます。しょっちゅう夢に見て怖い思いをしていたようです。小さいうちの一生消えない思いということでしょう。子を育てる上で、必死の思いで火災のことは忘れよう、話さないでおこうという思いがあったものと思います。ついに先々代、先代からは口にでることはありませんでした。どうして復興しようかという思いも大きかったのでしょうが、当寺として痛恨の1ページです。ついでに先代が一回も口に出して話してくれなかったのが、この火災の話と戦争で徴兵に出たときの話です。心に重い鉛を飲み込んでの一生だったのでしょうか。