2011年1月法話

新年あけましておめでとうございます。皆様いかが新年をお迎えのことでしょうか。家族団らんでコタツに入りミカンを食べてと、絵に描いたようなお正月を過ごされている方は幸いです。冬の寒さと雪でその処理に悪戦苦闘している方はこれまた健康増進に良しとして幸いです。家族の方のご不幸などでお一人でお迎えの方は、これから家族・仲間をつくり楽しさを求める意欲を持たれることを祈念して幸いとしましょう。それぞれ今年一年にかける思いは大きいことと思います。その思いの成就のために一歩を踏み出しましょう。自分だけの決意にせず、仏様の前で誓いを確たるものにするとさらに意は深まるでしょう。お寺(菩提寺)参拝がまだの方はどうぞ決意を本尊様に向け、本尊様から強い誓願を授けてもらいましょう。これこそ年賀の意義でしょう。

我が家のお正月は、これは例年とは全く違い、大変な状況です。昨年12月に入り妻の母が腰の痛みで入院し、中旬には実母が持病の悪化による低血糖で入院になってしまい、寂しいお正月となりました。二人とも年齢によるものがあろうかと思いますが、ある日を境に闘病となってしまい、本人にとってもやるせない気持ちでしょう。母の低血糖は心配していたのですが、防ぎ方が足りなかったようで起こしてしまいました。これは怖いものですね。低血糖自体は病院での点滴によりすぐ回復するのですが、その後の食事療法、血糖安定までに影響がじわじわ現れている状況です。少しずつ痴呆が入っていたのですが、お医者様がおっしゃっていたように低血糖によりあっというまに進んでしまったようです。一日も早い退院をと思い介護の生活を覚悟していますが、いつ退院できるのか不安が募ります。
とはいえ、毎日の生活が一日一日と過ぎていきます。その日やるべきことはきちんとやり、次の日に残さないよう、家族力を合わせていこうかと思っています。それが今年のやるべき事かな!

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さて昔のお寺の話を続けます。庫裏の玄関を入り大きな段差(50センチ位)の踏み板を2,3段上ると板敷きの居間と右に典座寮(台所)があったようです。その典座寮には煉瓦造りの大きな火床があり、その上に1メートル以上のつば釜が三つほど乗っていました。すぐ横にはこれまた大きな井戸があり、つるべで水くみをしていました。さらにはお米の倉庫があり、檀家の皆様から寄せられたお米が積まれていたようです。典座寮を見るだけでも、今の家族が住むお寺とは異なり、まさに僧堂的な構えのお寺であったのでしょうか。二十八世石室洞籌大和尚のもとには私の祖父(二十九世)のほかに兄弟弟子が4,5名いたことでも分かろうかと思います。

大勢の生活の食事の大変さがしみじみと思われます。火をおこして薪を焚き水をくんでと苦労の多かったこと、その仕事を毎日毎日続けること、これぞまさに禅の暮らしであったと思います。そして今でも典座寮・台所に入る人にとっては毎日同じ事の繰り返しで、禅の修行そのものと変わりがないのです。その食を頂戴する者も感謝の念を忘れずにしたいものです。