2010年10月法話

秋彼岸と共に秋がやってきました。酷暑から一転しての秋風、体が追いつかない状態でした。夏を一生懸命乗り切ってこられた方も、秋になってから旅立つ方が多くなりました。人間何か緊張感をもっている方が、生きる力となるのでしょうか。天候のみならず、各人各様の緊張感をお持ち下さい。

また、収穫の時となり、農家の方々は大忙しです。田んぼの稲は見た目は大きく成長し、豊作かなと思っていましたが、その成長が悪い方に作用するらしく、肝心のお米の方に栄養が届かなかったそうです。そして高温障害と刈り取り前の雨での倒伏により、作柄と共に品質にも大きな問題を与えてしまったようです。景気の良さが見えない現状で、追い打ちのような農家の減収はさらなる影響が出てきそうです。

日本と中国の関係も問題になっています。世界から、日本人は何を言おうとしているのか解らないといわれることがあるらしいのですが、相手を傷つけないような話し方、お互いを尊重し何となくわかり合うという雰囲気がそうさせているのでしょう。しかし中国の主張の強さには驚きます。日本は主張してはいけないのでしょうか。裏でこそこそとやるだけではなく、言うべきことはしっかりと言ってこそ同じテーブルでお互いの利益を求め合うことが出来るでしょう。一方的な話ではいらいらが募るばかりです。今回の結果が日本の国益につながることを期待しています。

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さて、今回からは私とお寺に関することを思いつくまま綴ってみたいと思います。

私は昭和29年生まれの午年です。姉一人の2人姉弟です。昭和29年というと、戦後の混乱も落ち着きを見せ、復興に力を注ぎ、ようやくその兆しが見えてきた頃でしょうか。当時の倫勝寺はといえば、そこそこの大きさの伽藍を持ち、威風堂々の構えだったようです。大本堂も柱の多い茅葺きのようでした。床下はゆうに5尺はあり、子供達はかくれんぼ・鬼ごっこで走り回っていたそうです。さらに地面からはヨシが伸び、板張りの所から顔を出していたといいますから、だいぶ古くきちんとした感じではなかったのでしょう。もちろんそれが当時は当たり前だったのでしょうが、今から考えると隔世の感です。お寺といえばやはり空気も一般家庭とは違い、ちょっと緊張感があったこともあるでしょうが、やはりそのたたずまいが与えるものが大きいでしょう。柱が多く、屋根の大きさで窓が小さく、暗さが引き立っていたのでしょうか。それがまた威厳を感じさせることになっていたのでしょう。

特に位牌堂に通じる廊下にあった、閻魔様・奪衣婆のお姿は異様であったといいます。薄暗いところで格子の奧に、やせ細った奪衣婆と大きく見張った目の閻魔様では、子供達は避けて通っていたことでしょう。世の中にこの世とは思えない怖い世界があるんだということは、言わずとも人々の戒めになっていたのでしょう。これもまた現代にも必要なことかも知れません。しかし子供達は怖いもの見たさでよく遊んでいたようで、檀家さんにお伺いするとよく本堂を走り回り住職(当時は二十九世、私のおじいさん)に怒られて怖かったという話を聞きます。しかしその話の落ちは決まって住職さんが裏からお菓子を持ってきて与えてくれたということで終わります。おじいさんの厳しさと温かさを感じます。