2009年5月法話


四月春盛り、北東北では梅と桜が同時に開花します。当地ではやや梅が早く、梅散る頃桜開花となるようです。しかし、桜咲く頃には思いもよらぬ寒 さが戻ってくるときもあります。今年も暑さと寒さが交互にといっても、それぞれが極端になり、変化が大きく感じられます。母親と共にこの時期には畑仕事も 始めます。年老いた母の尻をたたき、体を動かすことで人生の張り合いを出してもらおうと思っています。そのことが少しでも老化防止になってくれたらと思っ たりします。こんなことを言っているのも趣味としての畑仕事であるおかげで、多くの檀家さんの本当の仕事としての農業はこんなことは言っておれず、待った なしの天気と戦っているようなものでしょう。年々高齢化する農作業もいつまで現状が続くのだろうかと思っていることも事実です。食文化を維持することは絶 対必要なことですが、現状が崩れたとき、さてどうなるのでしょうか。

「禅」という映画、ご覧になりましたか?道元禅師の生涯を描いた大 作映画です。中村勘太郎主演の道元様はじめ、登場俳優は名だたる方揃い、堂々たる作品に私も感動しました。以前にも道元様の生涯の映画化の話があったよう ですが、どうも禅をスクリーンで表すことが難しく、今まで実現しなかったのでしょうか。他のお祖師様方の御生涯のような、いわゆる劇的な場面が作りづら かったのでしょうか。今回の映画ではやや脚色が強く、道元禅師とお釈迦様の史実がダブったりしていますが、禅の本来の生き方を示された点では良かったのか と思っています。まだご覧になっていない方は是非ご覧ください。言葉では説明しきれない禅の世界を少しでも理解できるのではと思います。DVDも発売に なったようですので、繰り返し見ることでなおさら感動を深めてもらえれば幸いです。

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さて続きのお話ですが、ここで申し述べるのに中陰法要とか年回法要、さらには法事、仏事、法会、追善供養などの言葉が出てまいります。一般にはどれもこれも同じ意味合いのこととして理解されているようで、私らもことさら分けて説明することもなくきています。

法事とはお釈迦様の教えの事業とでもいいましょうか。個人への追善供養のために供物を供え、近しい人々、お世話になっている人々に集まってもらい、僧侶に お斉(食事)や布施をし、教えの書物としてのお経を読んでもらう、という法会をなすこと、すなわち故人という仏に対する思いの行と、現在生ある者の実際の 行とが合わさったものといえましょう。ご先祖様も仏様、現在世の我々も仏様との自覚も持っての行ということで、仏事ということです。これにより故人の苦を 取り除き、菩提を増進させることができると信じ、さらにお経を聞くことやお斉や布施の実践により、我々の心のわだかまりを亡くし、安穏な暮らしを得ること ができるものと考えます。

この供物を供えたり、他人に施しをしたり、お経を聞いたり、香を焚いたりの行がすなわち追善となるわけです。 その行為を供養、「供給養心」と言います。仏様のおられる、安置するところを敬しくする敬供養、読経や焼香により仏様を礼讃する行供養、様々なお供えによ る利供養の三つがあるとされます。