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	<title>曹洞宗　白鶴山 倫勝寺 &#187; 法話暖心</title>
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	<description>倫いなく勝れて見ゆる寺林　風の音さえふとく波羅密</description>
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		<title>2012年2月法話</title>
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		<pubDate>Tue, 31 Jan 2012 15:02:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[平成24年もはや一ヶ月が過ぎてしまいました。天候は昨年12月中旬よりの雪が相変わらず続き、寒入り、大寒と益々多くなっております。昨年も内陸地方では大雪で果樹に大きな被害があり、なんとか今年は勘弁して欲しいと願っていたのですが、今年も雪との戦いが繰り広げられております。立春まであと2日、名ばかりの春とはわかっていても、春の訪れを待つ身にはなんとなく明るい響きです。 次男の弟子が行っている永平寺も雪の多い所、毎日の雪作務に追われていることでしょう。しかし次男は手の怪我でギブスを付けての修行生活、他の人達の頑張りを見ていながら自分のできないことに苛立っているのではないかと思っています。修行生活は、自分一人ではどうにもなりません。皆心を一つにして、行一如の修行です。出来ることを精一杯して、出来無いことをしていただく有り難さを味わってみるのも大きな修行かもしれません。 周りの皆様、暖かく見守って下さりありがとうございます。よく修行は大変でしょうと声をかけてくださる方もいらっしゃいます。しかし何の仕事も修行です。私が朝寒い本堂での30分の読経、雪が降った日には雪かき、暖かい朝の食事をいただく、一日の疲れを取るための就寝、全て修行です。毎日毎日の繰り返しですが、それが当たり前です。会社勤めの人も、決まった時間までの出勤、身の回りを片付けての仕事、上司の人との付き合い、同僚との語らい、全て修行であり、毎日の繰り返しです。それが会社のためでもあり、自分のためでもあるのです。生活はそんな毎日の繰り返しです。劇的な変化は人生に数度、それもまた当たり前に受け止めていかねばならないのです。心を平安に保って。 ***** さて、お寺の古い話も私の知る所が少なくなり、私の小さい頃の思い出みたいなものを書いてみます。 祖父（二十九世）は何にでも興味を示し、良いといったものは何でも手にかけた人だったようです。時代が時代でしたが、昭和三十年代、そろそろ欲しい物も手にできる時が来たのでしょう。行商の人がよく顔を出していました。お魚屋さんは週に１，２度リヤカーに木箱を積んできてくれていたようです。ごく当たり前の当時の風景でした。 更に自転車で木箱を荷台に載せてくる人もいました。祖父も来客を大事にし、話好きな人には長い間付き合っていました。その方はどこから来るのか、息を切らしお寺に着くなり（当時は大火のあとの仮住まい）、縁側というか玄関の板の間に寝そべり、体を休めていました。しばらくして祖父が顔を出し、話し始めると、商売の話なのかどうか、しばらく時間がたってしまいます。その最後にかならず荷台の木箱を下ろして置いていくのでした。 つい先ごろ、近所に越してきたという人が訪ねてこられ、その当時の話になりまして、「私の父です」とのこと。ちょっと前に他界されたとのことですが、実は八郎潟の人で、距離にして３０ｋｍくらいあるのですが、ここまで自転車できていたのでした。寝そべってしまうはずです。八郎潟に朝に網を入れて取った小魚（結構大きい魚もいたようでしたが）でした。ほとんどフナだったと思いますが、我々はフナじゃっこと言っていました。それを祖父は話と共にすべて買い取っていたのでした。拒みきれなかったということも、魚好きだったこともあるでしょう。大人数で暮らしていて贅沢できずにいましたが、そのフナじゃっこのお陰で父はじめおじさん達は大きくしていただいたと口々に話していたことを思い出します。祖母や母などはそのフナじゃっこを料理するのが大変だったと言っていました。そんな八郎潟のフナじゃっこを売る人も、今は見当たらなくなりました。]]></description>
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		<title>2012年1月法話</title>
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		<pubDate>Sat, 31 Dec 2011 15:01:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[新年あけましておめでとうございます。本年一年皆様には平穏な良き一年であります事を祈念申し上げます。昨年は東日本大震災により多くの悲しみに包まれました。今なお爪痕は大きく、被災された方々は困難な日々を送っておられます。新年に当たり、「あけましておめでとう」の言葉は慎もうという思いの方も多いようですが、幸いに生を受け、生き続けられる人にとっては新年は大きな節目です。その節目を迎えられるという幸せを味わってもらい、「おめでとう」の言葉はこれからの一年の支えになってもらえるものではないかと思います。それにしても、もっと強く復興が目に見えるようになってもらえないものかと思います。与党も野党もこの復興に関しては、有無を言わずに取り組んでほしいものです。 新年とともに、私も動き出さなければ、何かをしなければと考えさせられます。新年すぐ、私の書道の師、野口白汀先生の遺墨展が開催されます。（１月７日～１３日　上野の森美術館）野口先生がご逝去されてから早４年半、月日はあっという間です。その間、この遺墨展に向け、ご子息の野口岱寛先生はじめ東京書道会の役員会員が、一糸乱れぬ信念でここまできたことは、亡き師の大きさを感じずにはおれません。私も父亡き後、遺墨展を計画実行させてもらいましたが、これは書人としての一つのけじめと受け止めています。書人一人の筆にかけた生涯をつぶさに実感させられる思いです。亡き人の書を現すことのみならず、実行者はその人の書に対する思いを一心に受け止め、何をどのように見せるか、迷い苦悩します。私も千点近い作品の中から百点足らずの選別は大変でした。ここに岱寛先生を中心に、白汀先生の膨大な作品群から５５点の選はそれはそれは苦悩そのものだったと思います。さらには立派な作品集（９９点）、一点一点涙の出る思いで見ております。多くの方々に白汀先生の書業を見ていただきたいと思います。この遺墨展が終わると、新たな私の書作が始まるのではと思っています。それには今まで何を感じ、何を学んできたかが問われることでしょう。白汀先生からの指導はまだまだ続きそうです。 ***** お寺の昔の話の続きですが、私の聞き及ぶ話も残り少なくなってきました。 無住のお寺をほおって置くことは出来ず、宗務所、宗務庁、ご本山等で考えていただき、後住が当てられました。二十八世となった石室洞籌大和尚です。新潟の僧堂、種月寺の役僧だったようですが、詳しい経歴等は残っておりません。大正に入ってすぐくらいだったでしょうか。新潟から奥様とお弟子さん数名、付き人数人の来能だった様です。一行は一晩近くの斎藤家にやっかいになり、後日倫勝寺に晋山されました。無住で寺檀関係の損なわれたお寺の再興は並大抵ではなかったことでしょう。ご苦労が偲ばれます。それでも僧としては日々の行として経を読み、作務をしていれば、知らず知らず信が周りの人々に芽生えます。お弟子様方にも僧堂生活として厳しかったのでしょう。多くの信者が檀越となり、お寺を支えてくれるようになり、今日の基礎となってくれました。感謝感謝です。奥様は一緒に来てくれた女衆と共に、地元の女性達に針を教えていたとのこと、地道な活動が支えとなってきたことでしょう。新潟からの一向に、今の山田家の二人がいました。弟子としての山田顕量、女衆の一人としての馬場マスでした。後に一緒になり、ここに山田家として三代続いてきているのです。]]></description>
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		<title>2011年12月法話</title>
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		<pubDate>Thu, 01 Dec 2011 03:31:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[本年もあと一ヶ月となりました。暖かい日が続いた１１月も後半よりは雨やみぞれが降り出し、冬近しの感が強くなりました。頼んでいた庭木の冬囲いも先日すませ、雪を待つばかりです。 お寺の方も年末事務に入ります。この頃はパソコンでの処理なので打ち込みを間違えなければOKなのですが、それがなかなか進みません。年一回のことなのでその操作も忘れがちで、今では副住職担当になっています。パソコンだけでは顔が見えなくなってしまいますので、何とかつながりを持ちたいと思い、前段階では私も手をかけるようにしています。 新年を迎えるための事務、掃除を怠りなく行い、本年の苦悩、不安をすべて流してしまい、新しい年に多くの幸あることを願いたいと思います。 先般、落語家の立川談志さんが亡くなりました。才能に溢れていた方で、落語のみならず、司会に政界にと大活躍されました。今も続く長寿番組の笑点の初代司会は、落語家としての活躍でした。政治と大衆の架け橋になろうという志での政界進出、さらには既成の落語団体に満足せず、一家を立ち上げるなど、一般民衆を味方につけての大活躍の一生でした。大きな動きを生きる人は、その底にはきらっとした自分の存在意義を培っていかなければならないと思います。談志さんは古典落語での演は誰もが認めるものであったからのことでしょう。だからこそ毒舌と言われる談志節が通用することになります。 癌という病で言葉を道具とする落語家が声帯を失うことの無念さは、計り知れないものだったことでしょう。しかし最後冗談か本気かわかりませんが、なんとか院なんとか居士なる戒名を自分でつけた、というのはいただけません。戒名は戒を受けた人に授けられるもので、自分で勝手につけていいというものではありません。それをマスコミが声高に言うのもどうかなと思います。戒名を受ける為の授戒会の存在も広めなければいけないのかなと感じます。 ***** 倫勝寺の昔の話です。当寺に第二十六世、無外玄鼎大和尚という方が歴代に名を連ねております。原田玄鼎さんという方なのですが、壇信徒のために観音様、地蔵様、お釈迦様などの掛け図を書いたようです。多くのものが残っていると思いますが、その作風は線画です。その線がすべて経文で、小さな字が線になるように書かれています。つまりお経とお姿が一緒に拝めるという事になっています。住職として壇務をやりながらの書作、大変であったろうと思われます。お弟子さんもあったと思いますが、経文とお姿に神経をとがらせ集中して書かれるというのは、並大抵のことではありません。 また、古くから続いている檀家さんには今なお玄鼎さんの書かれた過去帳が残っています。キレイな字というのではないのですが、一種独特の雰囲気があり、線には力があり、個性の強さが伺われます。当寺の参道脇には「大乗法華妙典寶塔」というのがあり、玄鼎和尚様が法華経を小さな石ころに１字ずつ書かれ、それを納める塔として建てたものです。題字もこれまたすばらしいものです。観音堂脇にありますので是非ご覧ください。 そんな活躍された和尚さんでしたが、お弟子さんは四人ほどいたようですが住職に就くことなく寺を離れてしまったとのことです。その後住として二十七世正海覚道大和尚様が入られますが、前のお弟子さん当時に崩れた寺檀関係を修復できず、無住の時期が少しの間あったようです。]]></description>
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		<title>2011年11月法話</title>
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		<pubDate>Mon, 31 Oct 2011 15:18:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[秋もあっという間に過ぎ去ってしまいそうです。紅葉が盛りです。当寺も枝落としの後に伸びた欅の葉と、最後は銀杏の黄葉に毎日毎日落ち葉掃きです。 遅くなった農作業も一段落し、農業の県内祭典、種苗交換会が始まっています。この会がやってくるとお天気も秋から冬へ急展開です。いつもみぞれ交じりの寒い日が続くのですが、今年は少し落ち着いているようです。 一般の方も原発事故以来、放射能の有る無しが気になり、一つ一つ線量を調べてみなければならなくなったようです。遠い本県では影響が少ないようですが、ちいさな子供を抱えているお家では将来を心配して大変です。心落ち着けて生活できる日がいつ来るのか皆目見当もつかないようで、残念に思います。 秋は芸術の秋ともいわれます。秋田では秋田書道展があります。県内最大の書展で、小学生から一般まで、多くの出品で賑わいます。私も長年筆を握らせていただいておりますが、数年前より審査の方にたずさわっており、いささかの責任を感じておるところです。私の社中からも出品者があり、本年は好成績でした。長年の努力がようやく実を結んできたような気がします。弟子の上達は決して師の指導の腕ではないでしょう。 あるお経の中には、師が弟子に教えたことで弟子が後で実行するかしないか、また実を結ぶか結ばないかは、師の責任にあらずという様な意味の言葉があります。師は師として言うべきことを言い、書くときは書いて見せ、心構えを聞いてもらい、批評をし、直しを入れ、わがままなものです。それを弟子の人がいかに自分の作品に役立てるか、それはひとえに弟子の一人一人の努力、感性によるところで、師は何とも力を貸せる所はないようです。多くのものをつかんでくれた弟子は、長くやっているうちにいつか、それがひょこっと作品に顔を出してきます。その時がチャンス、作品の転換ができるときです。それを逃がさず捕まえてくれるとありがたいのです。師は弟子の何倍も書き込んでこそ、出してくる言葉、線の強さ、バランス等が出来るのです。弟子を持つと言うことは師自身の大きな勉強をさせていただいていると思っています。 人生もその通り、何事にも今書かせていただいたところがあろうかと思います。師弟はかくあるべきと思います。 ******* さて、お寺の話の続きです。先代が築いてきた境内、建物も一応一段落を迎えました。本堂の増築、庫裡、位牌堂と整い、さて落慶法要をどうしようかと言うことになってきます。建設委員会を通してのご寄付の中にはこの落慶法要の費用も若干あったのでしょうが、とても足りなかったようで、落慶と併せて晋山結制も行うこととし、新たな寄付を募り、倫勝寺としては久しぶりの大行事を計画いたしました。晋山（新しい住職がお寺に入る式）と結制（弟子の修行期間を承けての出世行事）と、さらに先々代（祖父）の退董（引退式）と落慶と、盛りだくさんです。お寺の行事としては最大のもので、おつきあいの比較的少ない私のお寺でも70～80人が集まった記憶があります。 式は前日の夕方から当日朝早くから昼過ぎまでと、次々と法要が営まれます。見所としては新住職（先代）のお寺に入るときの行列、さらに須弥壇上での問答など、さらに首座（私）の禅問答を交わす場面でしょうか。印象にあるのは先々代の感極まった退董の挨拶でした。あの頑固で気丈な毎日から涙は想像できませんでした。５０年以上の住職生活が一気によみがえったのでしょう。昭和４９年５月のことでした。私は大学２年生でした。]]></description>
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		<title>2011年10月法話</title>
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		<pubDate>Fri, 30 Sep 2011 15:08:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[　１０月になり、今稲刈りが盛んです。あと２、３日で終わるのでしょうか。９月の長雨で大分遅れてしまいました。しかし稲穂は凛と立ったままで倒れませんでした。ということは穂が軽かった様です。春植え付け後の分蘖が進まず少なかったとの事です。秋田はやや不良とのことですがこの様子だと不良かもしれないという声が聞こえます。少しは値が上がったのですが不作では何にもなりません。幸い秋田は放射能の影響がなく安全宣言がでましたが、残念な事です。天候不順なのでしょうか、キノコの出具合もいつもと違っている様な事も聞きます。 　１０月１、２日、愛知尼僧堂堂長、青山俊董老師が来能されます。ご縁のお寺での結儀に招かれての事で、我が第九教区の一般公開講座の講師もして頂く事になっております。青山老師は堂長として若い修行僧の面倒を見ながら御自身にも厳しい修行をかせ、御講演や著書出版にと休みなしに過ごされている様子です。私達もこうでなければというお手本のようです。御老師が動かれている所は、ことごとく他を利する行為、利他行になっています。笑顔で接する事が一つ、暖かいお心で美声で語りかける事が一つ、お会いした方々は大きな安心感を得る事でしょう。この度の講演会も「ほほえみと愛の言葉を」と題してのお話です。きっと拈華微笑の如く御老師と聴衆は皆微笑みで愛に満ちわたる事でしょう。楽しみにしております。 　※１０月２日（日）能代市プラザ都にて　１２時開場　１２時半開演 　さて、昔のお寺の話の続きです。先住が草刈りの他に手掛けたのが参道の整備でした。当時、本堂入り口から通用門まで１００ｍ位の道はもちろん未舗装でした。普通の雨の日には何とか地面に浸透していたのですが、大雨、梅雨の長雨、特に春三月の雪解けの後はものすごいどろんこ状態でした。雪解けの後は日が照ると溶けてどろんこ、夜は凍り、また朝に溶ける。といった状態で、なかなか乾くことがありませんでした。そんな参道を見るに見かねて砂利を敷くことにしました。あまりみっともない形になってはいけないと思い、使ったのはビリといわれる小砂利でした。川砂利の良い所を取った後の最後の一番小さいもので敷くとそれなりに綺麗に見えました。しかし軟弱な所に敷く訳で、あっという間に泥の中に入ってしまい、跡形もなくなります。それを年二回くらい一輪車とスコップで敷いていました。どのくらい続いたでしょうか。現在も半分は舗装されましたが雰囲気を出す為に半分は同じビリを敷いておりますので、４０年くらい続いているのでしょうか。短くなったので今は二年に一回補修するくらいですが、参道はだいぶ高くなり排水も良くなりました。これも先代の功労とありがたく思っております。]]></description>
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		<title>2011年9月法話</title>
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		<pubDate>Thu, 01 Sep 2011 06:37:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[九月に入り暑さも一段落でしょうか。お盆中より急に秋風が吹き出し、夏終わりの感もあったのですが、残暑がまだまだ。もう少し我慢の日が続きます。 秋風と共に新総理が誕生いたしました。代表選挙の時も「今政局争いの時ではない」「早く一秒でも早く助けてください」との声は止みませんでした。まさに復興事業は一党派だけで進めていく問題ではなく、国民全体で考えねばならない事でしょう。大連立でも何でもして復興事業に感しては、党派を超えて風通しをよくし、だれでも見えるようなことにしてもらいたいものです。政治は国民のためになることをやるべきです。自己を評価してもらうための政策で国民を右往左往させるようでは困ります。政治も宗教もしっかりした根が有ってはじめてみんなに支持していただけるものでしょう。我々曹洞宗はお釈迦様、道元禅師様、瑩山禅師様を慕い、学び、行うことが基本です。さて今の政治の基本は？ また先般、島田紳助氏が芸能界から引退いたしました。原因は黒い噂とのことですが、大きな決断であったでしょう。漫才から始め、最後はマルチ芸能人として，「頂点を極めた」と自ら言うが如く、思い通りに進んできた芸能生活だったことと思います。才能も評価されておるようです。 今のテレビ番組、特に夜のバラエティ番組は“うるさい”という感じです。見ていて面白いと思うときもありますが、終わってしまえば心に何の響きを留めることなく忘れてしまいます。何か心を打つものが少ない気がします。それもタレントを「おばかキャラ」として、知らないことに対する容赦ない攻撃を種に盛り上げてしまうことには辟易してしまいます。それでいいのでしょうか？子供達に与える影響も大きい事でしょう。人をけなして笑いを取ることはいかがなものかと思います。タレントさんもそれを承知で、バカになりきっている人もいるのでしょう。本来の頭の良さをもっと使ってもらいたいものです。 ***** さて、お寺の古い話の続きです。先代が教職を辞し副住職としてお寺に入りました。建設工事を進めると共に、力を入れたのが境内整備でした。通用門を入って参道の両側が墓地になっており、５～６月は人の背ほどの草（さしどり）が生い茂っていました。ご法事、お葬式があると檀徒さんがせっせと草刈りしていたものです。 先代は草刈り鎌で参道の周辺を刈っていました。サッサッと草を刈る音は小気味よいもので今でもはっきり覚えています。学生だった私も手を出したことが有ったのですが、「おまえに出来るはずはない」と相手にされません。またサッサッと刈る音よりジャリジャリと鎌を研ぐ音の方が長かった気がします。 庭もいつのまにかススキの原でこれまた大変。刈っても刈っても追いつきません。根を掘り上げるのも大変で厄介なものでした。そんな境内に手鎌で立ち向かっていた先代に頭が下がります。檀徒の方が刈り払い機を勧めていたのですが、機械扱いが不慣れだったのでしょう、私が修行から帰ってきてからの導入でした。その刈り払い機の横でもサッサッと音がしばらく続いていました。先代にとってそれが禅だったのでしょう]]></description>
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		<title>2011年8月法話</title>
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		<pubDate>Sun, 31 Jul 2011 15:10:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[　８月お盆の月です。お盆を迎えるにあたって７月は下準備の時、境内の草刈り、お盆の五如来札の作製と、精を出させて頂きました。後は檀家の皆様の個々のお気持ちで墓地も綺麗になり、すがすがしい気持ちでお盆を迎えられる事でしょう。 　今年の夏も暑いです。汗かきの私はついつい檀家さんの家へ行き「暑さは平気なのですがこの汗が」と愚痴ってしまいます。返ってくる言葉は「みんなそうだ、当たり前だ」です。私だけではなく皆が暑さと戦っています。今年は原発事故で電力状況が思わしくなく、節電が叫ばれています。家でも暑がりの私に“節電節電”と声がかかります。 　暑い日本をもっと熱くしたのがなでしこジャパンです。ワールドカップの大舞台で金字塔！女子サッカーを知らなかった人々も一日にして大ファンに早変わり。暗い気持ちを背負っていた人々にも久々の明るい話題でした。ひたむきにサッカーに集中していた選手自身が嬉しくないはずがありません。その選手達も「私が戦っているのではない、日本国中の人皆が戦っているんだ」という思いだったのでしょう。あえて国の為、苦しんでいる人の為にと振り向けてくれる気持ちはやはり“なでしこ”のなでしこたる所以でしょう。 　自粛ムードの後、次々と国内外問わず大きな大会が開催されだしました。世界水泳、甲子園、北東北インターハイも真っ最中。世の中を明るくする為に、力付ける為に色々な人が持つ個々の力を全部出し切った時、結果は別として心を打つものがあり、それこそが力になるのでしょう。私も暑いお盆を檀家の皆様と共に仏様の行として過ごし、例年の書展（六葉会書展）を通して私の生き方を示す事により、私の有る事の意義を深いものにしたいものです。 ***** さて、昔話の続きとなります。本堂建築が一段落しました。とはいえまだ向拝（玄関）もなく、開山堂も有りませんでした。二次工事の件は遅々として進まず、先々代住職も総代さん達も窮してしまっていたものでした。進まぬ工事に一石を投じたのが先代でした。残った寄付金が無くならぬ内にと一念発起、副住職として乗り出しました。 　当時学校の教師をしており、書を趣味とし、安定した気持ちであったのでしょうが、お寺の状況が許してくれませんでした。二足のわらじでそのまま檀家さんの気持ちをつかもうとしてもそれではうまくいきません。教職２０年でくぎりをつけ退職。と同時に二の足を踏んでいた役員さん達が〝このままでは申し訳ない〟との思いか建設に向け動き出しました。教職で培った人の掌握の仕方や事務のおかげで工事が進み出し、庫裏、位牌堂、玄関と６年間位で出来上がりました。昭和４８年の事でした。火災に遭ってから２０年の月日が経っていました。 　それにしても檀徒の皆様はお寺の内部（住職の生活）には敏感で、やる気を見せると応じてくれる、素直にお願いすると無理をしてでも応えてくれる。ありがたいものです。だからこそ住職は常日頃何をすべきかしっかり見据えていなければならないものだと痛感致します。]]></description>
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		<title>2011年7月法話</title>
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		<pubDate>Sat, 02 Jul 2011 04:49:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[七月梅雨の真っ只中です。先月下旬の梅雨入りから雨が続いています。強い雨は当地はないのですが、県南では河川の氾濫等が有り、被害がありました。雨が降れば降りっぱなしで大災害、雨が上がると暑すぎる真夏日の連続、どうやってこの異常気象を乗り越えたらいいのでしょうか。苛立ってもどこにぶつけたらいいのか分かりません。どこかに、何かに、苛立つ気持ちを振り替えていかねばなりません。振り分けして実行し達成した事への満足感を得ることが自分の為、ひいては周りの人々に大きな事になるのではないでしょうか。 震災に会われた方々にとってもこの暑さは新たな試練となってくるでしょう。多くのボランティアの人々が様々な手法で元気になって欲しい、沈みがちな気持ちを震い立たせて欲しいと駆け付けています。歌手の方々も色んな形で現地に入り、歌の力で癒して下さっています。何をしてもらっても現地の方々は気持ちに入ってくる事の多さを感じているのではないでしょうか。人間の心を失ったまま暮らしていた現代、改めて人の温かさを感じ、自分一人では立ちゆかない現実を目の当たりにし、人との和合を感じられた事と思います。震災の苦しみの中にこの様な感じ方は、残された命をどう生かしていこうかと考える時、大きな物差しになる事でしょう。震災被害者のみならず、すべての人々がご縁のある方を大事に思う心を無くさないで欲しいと感じます。 ***** さて、お寺の昔話の続きです。焼失後の復興も気持ちは強いものがあっても、なかなか住職側と檀徒側では温度差が有り、思うようにはいかなかったようです。ご寄付も世の中が戦後の大不況から徐々に景気上昇に向かった時とはいえ、すぐさまお寺へというのも各家庭の経済的負担が大きかった事もあるでしょう。 ようやく工事が始まり、本堂建立に向かうも業者とお金の問題で揉め、材料確保もままならずご寄付も分割、工事も分割でという事で全く仮本堂の体で進んだ感じです。そんな工事も一段落したとはいえ、本堂と住まいは離れ、法要の時は外を法衣姿で移動した次期はかなりあったようです。本堂の材料は今の時代ですと露柱は欅あるいは檜などで作られますが外材の松の木、屋根の合掌も細い材料でトタンも薄いもので作られています。 しかし、本堂の有る無しは大きく、本堂一つでお寺の体をなしていると感じられるのはさすがです。本尊お釈迦様が鎮座されているおかげなのでしょう。手を合わせる対象があるのは参拝者の心に強く安堵を与えてくれたのでしょう。信仰は言葉だけではない形を整えてこそなのでしょう。お坊さんは袈裟姿が似合って一人前、大工さんはのこぎり姿が身について一人前、看護師さんは白衣が馴染んで一人前、形から入っていくのも間違いではないでしょう。お寺も立派な建物が揃って初めて敬意を持たれる事なのでしょう。]]></description>
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		<title>2011年6月法話</title>
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		<pubDate>Tue, 07 Jun 2011 03:39:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[六月に入り日本は早や、梅雨の季節となりました。ホームページ更新が遅くなってしまいました。先月末より大本山永平寺参拝を行っており、今参拝を思い起こし書かせてもらいます。 檀徒２０名での参拝でした。三月の大震災の影響でキャンセルした方も数名おり少人数になりました。実母を津波で亡くされた方もおり、旅行の気分になれないという人も。『永平寺でお母さんの供養をしたら』とも勧めてみましたが難しかった様です。 そんな中、永平寺参拝の大看板のもと、２０名はハツラツと全行程を済まされました。永平寺では小雨もありましたが、鳴り止まぬ水の流れがいつものようにあり〝あぁ永平寺だ〟との感を深くした次第です。到着しての拝観、夕食、夜坐、法話、映画と息つく暇もなく修行を続けます。朝は三時半起床とはいえ、一時間前から起き出し身繕い、その後朝のご挨拶、説法、供養法要、朝課と三時間の座りづめ。なかなか大変な時間ですが、少々の寒さにもめげず座り通す事が出来ました。これが永平寺の力です。さすが大本山です。これが何の緊張感もなく、だらだらとしたものなら、とてもとても。法要一つ一つにもリズムと見せ場が有り時間が経つのも忘れさせてくれます。道元禅師の教えの素晴らしいことを改めて感動させられます。 参拝後は私の勝手な行程作りで広島、岡山方面の旅の二日間でした。梅雨とはいえ、雨を避け避け歩かせて頂いたのは参加者全員の思いが強かったからでしょうか。原爆ドーム記念館のハッとするような衝撃、宮島、錦帯橋、後楽園、倉敷の美景観との対照に圧倒させられました。また一つ、檀徒の皆様と気持ちを強く結べた思いが致します。 さて、震災の話も多々ありますが、昔の話を続けさせていただきます。 私が幼少期、小学生の頃の遊び場は家の周囲、特に焼け跡にあった本堂、位牌堂のコンクリートの土台でした。土台の上を走り回り周辺の山菜、キノコを採ったりと、田舎の生活そのものでした。木の実を取るため木に登るのですが、私は高い所が嫌いで、姉たちによく馬鹿にされたものでした。しかし嫌いなものは嫌いで、高い所と狭い所は大嫌いでした。だから、かくれんぼも嫌いで押し入れに隠れようものなら、すぐ自分で出てきてしまい、また土管の中に入り込んだらそのまま先に出てしまったりで、すぐ鬼の番だった気がします。地区の同年代の友達も多く、毎日毎日よく外で遊んでいたなと思います。もちろん家の中にはそんな遊び道具があろうはずもありませんでした。そんな遊び場が焼け跡と知ったのはかなり大きくなってからでした。その土台がなくなり復興が始まったのは火災後十年くらい経ってからでしょうか。ご寄付が始まったのは五年後からでしょうか、思うように集まりません。時代背景もあったでしょうが、やはり火災という原因が大きかったのは否めません。先々代も五十年在住のうち最も大きな挫折だった事でしょう。しかし信用が一時でも失墜してしまうと取り戻すのに大変な時間と労力がかかるものです。それも信仰を司るが故の事なのでしょう。覆水盆に返らずとは言いますが何とか新しい信仰の場をと言う思いは大きかったことでしょう。]]></description>
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		<title>2011年5月法話</title>
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		<pubDate>Wed, 04 May 2011 05:59:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[五月、大型連休です。こちら秋田は少しづつ早まっていた桜の開花が今年は雨と寒さでちょうど今見頃となりました。休みを利用してのお花見、大いに賑わう事でしょう。とはいえ、大震災の影響でどこも自粛気味で大賑わいとなるかどうか心配です。桜は地震があろうが、雨が降ろうが、咲く時を忘れず咲かせてくれます。それが桜が桜としてあるべき姿です。綺麗に咲かそうとか、早く咲かそうとか、ゆっくり散らそうとか、そんな配慮はありません。気候にまかせ、咲く時は咲いてくれます。それを賞でる我々人間の眼が、その時その時によりいろんな桜を生み出します。今は｛震災復興を後押ししてくれる様な気がする｝、｛桜を見ると辛い毎日を一瞬でも変える事が出来る｝、という思いでしょうか。まさに花にはそんな力があるのです。美しいものを美しいと見れる時は人は人として確かなものを持ち合わせている証しです。 美しさは花だけではありません。復興を後押しするボランティアの人々もそうです。あの歌手、あの俳優、あのアスリート等々。皆心からの思い、行って何かをしてあげたいその一心での行為でしょう。それが受ける人にとっては存在が大きければ大きい程感動的で受ける言葉にも行動にも納得出来る事が多い事でしょう。 我々僧侶もそんな存在になるべきで、地元の宗教界あげて心の支えになるべく努力している話も聞いております。ボランティアで青年会中心に多くの僧侶が物資を運んでいる姿も見ております。少しでも早く被害のあった地区の御寺院様がお檀家様の為に向き合う事が出来る様、支援出来ればと思っております。私は少しの物資を出す事と、心で被災者の気持ちを思いながら時あるごとに経を読む事で、早い安穏な生活を祈念する事しか出来ません。しかし、その繰り返し、ごく当たり前の生活を通して、被災者に届く様、前向きに生きる努力をしなければと思います。歌手の人は歌を歌う事で、画家の人は絵を描くことで、スポーツ選手は精一杯に根性を出し切る事で、それを見てくれる人々は何かを感じ次のステップに向かうことが出来るのではないでしょうか。何も出来ないと悩むより、出来る事を真摯に続ける事で、生きる力を感じてもらえる事が出来ると思います。 被災してしまい 一人になったと思っても孤独ではありません。日本のみんなが応援しています。世界中の人が応援しています。さらには周りにいる人すべての人が支え合っております。避難所の皆々、ボランティアの皆々、一人一人何の利を求むることなく出来る事をやってあげたいという思い、まさに菩薩様の行いです。あなたも菩薩様、何も出来なくともありがとうの一言、笑顔を返す事が菩薩行です。する側される側の隔たりはありません。一つ一つの行為が合掌のお姿、仏様のお姿となります。全てを失ってしまった方も、その新しい生活が夢多き生活であります事を願い、今は苦しい日々かもしれませんが、しっかりと地に足をつけ歩んでいって欲しいものです。]]></description>
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