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	<title>曹洞宗　白鶴山 倫勝寺 &#187; 法話暖心</title>
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	<description>倫いなく勝れて見ゆる寺林　風の音さえふとく波羅密</description>
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		<title>2012年5月法話</title>
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		<pubDate>Mon, 30 Apr 2012 15:02:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[桜の４月があっという間に過ぎ去りました。とはいえ四月上旬の大嵐、台風の定義とは離れているのでしょうか、低気圧の異常発達には変わらず、日本全土に大きな被害をもたらしました。当地区もこれから農作業と張り切ってちょっと早めに準備した人の苦労を一瞬にしてめちゃくちゃにしてしまいました。農業ハウスの倒壊、ビニール破れなど、大被害でした。災害は忘れた頃にやってくるといいますが、まさかこの時期に来るとは。とはいえ時期を逃すと難しいのが農業、下旬にはすっかり復旧し、本月からは田植えの準備です。時を逃すと難しい農業、といいましたが、政府が抱えるTPPはどうなのでしょう。農業にプラスになるのかならないのか、参加するもしないも時を逃しては国民から総スカンとなりかねません。桜は時を逃しません。４月20日過ぎの初夏の陽気にあっという間に満開！見事としかいいようがありません。 その桜の時期にと、当寺では先住忌を5月2日に修行させていただきます。先代顕一大和尚七回忌法要です。師であり父である先住の事と頑張っていますが、普段から強い方ではない腰もあと少しでギクッとなりそうです。それでもやるべき事をやり遂げるとそれはそれですっきりし、さぁいざ行事、の気持ちです。御本寺補陀寺老師をお迎えし、有縁の方丈様の荘厳な経の響きが胸に染みることと思います。 先住の残してくれた書がたくさんありますが、その中に「無常」があります。隷書か篆書か難しい書体ですが、私のお気に入りの一つです。禅では、今、この時を大事にします。いつまでも前のことを考えていては物事は進まないのです。進まないどころか、逆進してしまいます。世の理は無常が当たり前なのです。この当たり前を受け止めずにいることこそ人生の弊害です。常にあらずだからこそ、今を生き、この時を大事にしなければなりません。常にあらずだからこそ、世の道理が自然に見え、悩むことも恨むこともなく、他の人の為にする事がスムーズになります。その行もまた、いつまでも続くことなく、常に新しい物をすることになります。その一つ一つの行が禅の究極の行いとなるのでしょう。 その「無常」の字を、風呂敷に染めてもらいました。先住忌の引き物とさせていただきます。誰もが分かっていることですが、この風呂敷を開いたとき、ふと思い出してもらい、今のありがたさを感じてもらえれば、こだわりや恨みのない心地よい生活になろうかと思います。そのためにも、しまい込んでしまうのではなく使っていただくことが、無常を通して仏に出会うことと思っていただければ幸いです。]]></description>
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		<title>2012年4月法話</title>
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		<pubDate>Sun, 01 Apr 2012 07:21:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[四月、いよいよ桜の便りも南から聞こえてくるようになりました。新しい気持ちでの出発です。我が家でも一人巣立ち、社会人一年生となりました。社会の荒波に堪え、乗り越えていけるかどうか、「出来るところまで頑張りなさい、出来なくなったら連絡しなさい」と声をかけましたが、にこにこして「ハイ」どこまで分かっているのやら、四月より研修が始まるようです。 ３月３１日、先代の７回忌の命日でした。５月２日にお寺として先住忌を計画しており、家内だけでのご供養をさせてもらいました。亡くなった日は寒い日で、遅い吹雪の朝でした。気温の寒さと気持ちの寒さで倍にも身にしみた日だったことを思い出します。高校野球も見ていた台所にふうふうと調子が悪いと現れ、そのまま倒れ込み、救急車で行ったきり１２時間後には目を閉じて帰ってきました。あっけない最後でした。人は誰しも死は思いもよらない時にやってきます。まさに現実を突きつけられ、あたふたした自分が情けない気がいたします。 それから丸６年、今年も天候が悪く前晩より大雨でした。春雨には強すぎ、寒すぎ、情緒がありません。５月２日先住忌は桜のもと、すっきりとした天気と気持ちでご恩に報いるべく務めさせてもらいたいと思っております。檀徒の皆様もご参拝、ご焼香ください。 その父が始めた書道の六葉会書展が。いつもはお盆明けでしたが今年は４月２日から５日、場所も県立美術館からアトリオンに移して行われます。私も会員として１３回目の出展になりますが、これもまた新しい出発になるのではと思っております。ご都合いい日にご高覧いただければ幸いです。 ***** さて、先々代２９世の頃、昭和３０年代前半の時の話をもう一つ。食卓に牛乳が並ぶようになりました。とても濃い、味の深い物だったようです。先月はニワトリの話でしたが、今回はヤギの話です。小さなヤギを連れてきてエサを与えるというより、ひもで縛り野原の草を食べてもらうというように養っていました。その子ヤギをだっこした写真がありました。滋養を考えての祖父の思いつきだったのでしょう。お世話は祖母と母でした。種付け、出産からお乳まで。母も後になって「ヤギは大変だった」と当時を思い話していました。ニワトリといいヤギといいどこかのんびりした生活ですね。そのお乳のおいしいこと、家族は毎日朝夕２回、次第に太り出しました。大人共は肩こりがするようになりました。とりもなおさずお乳の飲み過ぎでした。牛の乳より濃く、脂肪も多いらしいです。そんなこんなで、そんなに長くはなくヤギもいなくなりました。食糧事情も良くなってきていたのでしょう。お寺としては考えられないような自給自足を目指していたのでしょうが、時代がそうさせたのでしょうか。]]></description>
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		<title>2012年3月法話</title>
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		<pubDate>Wed, 29 Feb 2012 15:05:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[３月の声を聞くと何となくうきうきとした気持ちになってきます。春だなぁという思いでしょうか。しかし現実は軒下、屋根につかんばかりの雪の山で、一向に解けてくれそうもありません。三寒四温、暖かい日は少しずつ多くなるとそれもいずれ無くなってくれるでしょうが、厄介者です。一日も早く無くなり、春現実となってもらいたいものです。 桃の節句、女の子をお持ちのご家庭では家の中はもう春盛りでしょう。子供の成長を願い、美しいものへのあこがれ、豪華なしつらえへの望み、等々の期待を込めてお雛様を飾ります。数ある季節の節目でも華やかな行事です。これも人間の欲するものが春と共に大きくなるためなのかなという感じます。こんな行事も人生にとって大事ですね。女の子も高校生くらいになると干渉されるのを拒み、何となくお雛様もお荷物になってしまいます。我が家の娘もようやく学業を終え、就職することになりました。現代事情で就職もままならない時代に、正社員とはいわずとも一つに引っかかってくれた努力に拍手を送りたいものです。社会に出てからの厳しさを知るのはこれからでしょう。仕事になれるまで上からの厳しい指導、叱責を素直に受け止め、早く業務に就けるよう祈るばかりです。 ３月１１日ももうすぐです。災害に遭われた方々のこの一年の過ごし方を考えるに、物の無いことでの辛さ、さらに望みを持ち得ない寂しさからの辛さで寒さもひとしおのことと思います。政府や団体、個人個人の多くの方からの温かい手に感謝しながら、今ある命をどう生かしていけるか、大きなステップを踏める日が早く来ることをお祈りいたします。その一助になるかどうか、我々も当日は、犠牲になられた方への供養のため、生きていく人のための希望の鐘を鳴らそうと思います。 ***** 昔お寺のお話です。祖父（２９世）は時代も時代でしたから、さらにお寺を焼失したことでの一文無しからの出発で、旺盛な好奇心の為もあったのでしょうが、食べるために様々な事をしました。畑、田んぼ、さらにはニワトリやヤギの飼育などを手掛けました。祖父はやりたいと段取りや用意はしますが、生き物相手の毎日の世話は祖母、父、母の役目であったような気がします。ニワトリは２０羽位いたのでしょうか。春にひよこが届いたときは姉と大喜びした気がします。可愛さばかりで、大きくなってしまえば怖くて逃げ回っていたのですが、家族みんなで事に当たっていた気がします。ニワトリ小屋は粗末な物でしたが、毎朝産みたての卵をちょうだいできたのもニワトリのおかげでした。大騒ぎしたのは度々でしたが、原因は粗末な小屋の中にイタチが入り数羽いなくなっていたとき、大きな青大将が卵を取りに入っていたとき、全く野趣そのものの姿でした。 そんな危険から残ったニワトリは、年末には数羽いなくなってしまいます。年末年始の為の貴重な食材になってしまうのです。当地はきりたんぽ、だまこ鍋が有名ですが、お正月にはその鍋の具やダシに使っていたのです。父はニワトリをしめるのが苦手だったようで、祖父がやっていたようです。。そんな殺生なと思うのですが、我々生きるために他の命を頂戴している身としては、誰かがその役をやらねばならないのです。祖父はそんなことを思い、経を唱えながら命を頂戴していたのでしょう。その現場は一度も子供に見せたことがありませんでした。経の教えに、「浄戒を持たん者は販売貿易し、田宅を安置し人民奴婢畜生を畜養することを得ざれ」とあります。全く反することですが、現実生きることは教えを破っていてもやらねばならず、誰かに頼っていくしかないことを分かっていなければなりません。ありがとうと手を合わす気持ちが大事なこととなってきます。]]></description>
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		<title>2012年2月法話</title>
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		<pubDate>Tue, 31 Jan 2012 15:02:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[平成24年もはや一ヶ月が過ぎてしまいました。天候は昨年12月中旬よりの雪が相変わらず続き、寒入り、大寒と益々多くなっております。昨年も内陸地方では大雪で果樹に大きな被害があり、なんとか今年は勘弁して欲しいと願っていたのですが、今年も雪との戦いが繰り広げられております。立春まであと2日、名ばかりの春とはわかっていても、春の訪れを待つ身にはなんとなく明るい響きです。 次男の弟子が行っている永平寺も雪の多い所、毎日の雪作務に追われていることでしょう。しかし次男は手の怪我でギブスを付けての修行生活、他の人達の頑張りを見ていながら自分のできないことに苛立っているのではないかと思っています。修行生活は、自分一人ではどうにもなりません。皆心を一つにして、行一如の修行です。出来ることを精一杯して、出来無いことをしていただく有り難さを味わってみるのも大きな修行かもしれません。 周りの皆様、暖かく見守って下さりありがとうございます。よく修行は大変でしょうと声をかけてくださる方もいらっしゃいます。しかし何の仕事も修行です。私が朝寒い本堂での30分の読経、雪が降った日には雪かき、暖かい朝の食事をいただく、一日の疲れを取るための就寝、全て修行です。毎日毎日の繰り返しですが、それが当たり前です。会社勤めの人も、決まった時間までの出勤、身の回りを片付けての仕事、上司の人との付き合い、同僚との語らい、全て修行であり、毎日の繰り返しです。それが会社のためでもあり、自分のためでもあるのです。生活はそんな毎日の繰り返しです。劇的な変化は人生に数度、それもまた当たり前に受け止めていかねばならないのです。心を平安に保って。 ***** さて、お寺の古い話も私の知る所が少なくなり、私の小さい頃の思い出みたいなものを書いてみます。 祖父（二十九世）は何にでも興味を示し、良いといったものは何でも手にかけた人だったようです。時代が時代でしたが、昭和三十年代、そろそろ欲しい物も手にできる時が来たのでしょう。行商の人がよく顔を出していました。お魚屋さんは週に１，２度リヤカーに木箱を積んできてくれていたようです。ごく当たり前の当時の風景でした。 更に自転車で木箱を荷台に載せてくる人もいました。祖父も来客を大事にし、話好きな人には長い間付き合っていました。その方はどこから来るのか、息を切らしお寺に着くなり（当時は大火のあとの仮住まい）、縁側というか玄関の板の間に寝そべり、体を休めていました。しばらくして祖父が顔を出し、話し始めると、商売の話なのかどうか、しばらく時間がたってしまいます。その最後にかならず荷台の木箱を下ろして置いていくのでした。 つい先ごろ、近所に越してきたという人が訪ねてこられ、その当時の話になりまして、「私の父です」とのこと。ちょっと前に他界されたとのことですが、実は八郎潟の人で、距離にして３０ｋｍくらいあるのですが、ここまで自転車できていたのでした。寝そべってしまうはずです。八郎潟に朝に網を入れて取った小魚（結構大きい魚もいたようでしたが）でした。ほとんどフナだったと思いますが、我々はフナじゃっこと言っていました。それを祖父は話と共にすべて買い取っていたのでした。拒みきれなかったということも、魚好きだったこともあるでしょう。大人数で暮らしていて贅沢できずにいましたが、そのフナじゃっこのお陰で父はじめおじさん達は大きくしていただいたと口々に話していたことを思い出します。祖母や母などはそのフナじゃっこを料理するのが大変だったと言っていました。そんな八郎潟のフナじゃっこを売る人も、今は見当たらなくなりました。]]></description>
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		<title>2012年1月法話</title>
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		<pubDate>Sat, 31 Dec 2011 15:01:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[新年あけましておめでとうございます。本年一年皆様には平穏な良き一年であります事を祈念申し上げます。昨年は東日本大震災により多くの悲しみに包まれました。今なお爪痕は大きく、被災された方々は困難な日々を送っておられます。新年に当たり、「あけましておめでとう」の言葉は慎もうという思いの方も多いようですが、幸いに生を受け、生き続けられる人にとっては新年は大きな節目です。その節目を迎えられるという幸せを味わってもらい、「おめでとう」の言葉はこれからの一年の支えになってもらえるものではないかと思います。それにしても、もっと強く復興が目に見えるようになってもらえないものかと思います。与党も野党もこの復興に関しては、有無を言わずに取り組んでほしいものです。 新年とともに、私も動き出さなければ、何かをしなければと考えさせられます。新年すぐ、私の書道の師、野口白汀先生の遺墨展が開催されます。（１月７日～１３日　上野の森美術館）野口先生がご逝去されてから早４年半、月日はあっという間です。その間、この遺墨展に向け、ご子息の野口岱寛先生はじめ東京書道会の役員会員が、一糸乱れぬ信念でここまできたことは、亡き師の大きさを感じずにはおれません。私も父亡き後、遺墨展を計画実行させてもらいましたが、これは書人としての一つのけじめと受け止めています。書人一人の筆にかけた生涯をつぶさに実感させられる思いです。亡き人の書を現すことのみならず、実行者はその人の書に対する思いを一心に受け止め、何をどのように見せるか、迷い苦悩します。私も千点近い作品の中から百点足らずの選別は大変でした。ここに岱寛先生を中心に、白汀先生の膨大な作品群から５５点の選はそれはそれは苦悩そのものだったと思います。さらには立派な作品集（９９点）、一点一点涙の出る思いで見ております。多くの方々に白汀先生の書業を見ていただきたいと思います。この遺墨展が終わると、新たな私の書作が始まるのではと思っています。それには今まで何を感じ、何を学んできたかが問われることでしょう。白汀先生からの指導はまだまだ続きそうです。 ***** お寺の昔の話の続きですが、私の聞き及ぶ話も残り少なくなってきました。 無住のお寺をほおって置くことは出来ず、宗務所、宗務庁、ご本山等で考えていただき、後住が当てられました。二十八世となった石室洞籌大和尚です。新潟の僧堂、種月寺の役僧だったようですが、詳しい経歴等は残っておりません。大正に入ってすぐくらいだったでしょうか。新潟から奥様とお弟子さん数名、付き人数人の来能だった様です。一行は一晩近くの斎藤家にやっかいになり、後日倫勝寺に晋山されました。無住で寺檀関係の損なわれたお寺の再興は並大抵ではなかったことでしょう。ご苦労が偲ばれます。それでも僧としては日々の行として経を読み、作務をしていれば、知らず知らず信が周りの人々に芽生えます。お弟子様方にも僧堂生活として厳しかったのでしょう。多くの信者が檀越となり、お寺を支えてくれるようになり、今日の基礎となってくれました。感謝感謝です。奥様は一緒に来てくれた女衆と共に、地元の女性達に針を教えていたとのこと、地道な活動が支えとなってきたことでしょう。新潟からの一向に、今の山田家の二人がいました。弟子としての山田顕量、女衆の一人としての馬場マスでした。後に一緒になり、ここに山田家として三代続いてきているのです。]]></description>
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		<title>2011年12月法話</title>
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		<pubDate>Thu, 01 Dec 2011 03:31:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[本年もあと一ヶ月となりました。暖かい日が続いた１１月も後半よりは雨やみぞれが降り出し、冬近しの感が強くなりました。頼んでいた庭木の冬囲いも先日すませ、雪を待つばかりです。 お寺の方も年末事務に入ります。この頃はパソコンでの処理なので打ち込みを間違えなければOKなのですが、それがなかなか進みません。年一回のことなのでその操作も忘れがちで、今では副住職担当になっています。パソコンだけでは顔が見えなくなってしまいますので、何とかつながりを持ちたいと思い、前段階では私も手をかけるようにしています。 新年を迎えるための事務、掃除を怠りなく行い、本年の苦悩、不安をすべて流してしまい、新しい年に多くの幸あることを願いたいと思います。 先般、落語家の立川談志さんが亡くなりました。才能に溢れていた方で、落語のみならず、司会に政界にと大活躍されました。今も続く長寿番組の笑点の初代司会は、落語家としての活躍でした。政治と大衆の架け橋になろうという志での政界進出、さらには既成の落語団体に満足せず、一家を立ち上げるなど、一般民衆を味方につけての大活躍の一生でした。大きな動きを生きる人は、その底にはきらっとした自分の存在意義を培っていかなければならないと思います。談志さんは古典落語での演は誰もが認めるものであったからのことでしょう。だからこそ毒舌と言われる談志節が通用することになります。 癌という病で言葉を道具とする落語家が声帯を失うことの無念さは、計り知れないものだったことでしょう。しかし最後冗談か本気かわかりませんが、なんとか院なんとか居士なる戒名を自分でつけた、というのはいただけません。戒名は戒を受けた人に授けられるもので、自分で勝手につけていいというものではありません。それをマスコミが声高に言うのもどうかなと思います。戒名を受ける為の授戒会の存在も広めなければいけないのかなと感じます。 ***** 倫勝寺の昔の話です。当寺に第二十六世、無外玄鼎大和尚という方が歴代に名を連ねております。原田玄鼎さんという方なのですが、壇信徒のために観音様、地蔵様、お釈迦様などの掛け図を書いたようです。多くのものが残っていると思いますが、その作風は線画です。その線がすべて経文で、小さな字が線になるように書かれています。つまりお経とお姿が一緒に拝めるという事になっています。住職として壇務をやりながらの書作、大変であったろうと思われます。お弟子さんもあったと思いますが、経文とお姿に神経をとがらせ集中して書かれるというのは、並大抵のことではありません。 また、古くから続いている檀家さんには今なお玄鼎さんの書かれた過去帳が残っています。キレイな字というのではないのですが、一種独特の雰囲気があり、線には力があり、個性の強さが伺われます。当寺の参道脇には「大乗法華妙典寶塔」というのがあり、玄鼎和尚様が法華経を小さな石ころに１字ずつ書かれ、それを納める塔として建てたものです。題字もこれまたすばらしいものです。観音堂脇にありますので是非ご覧ください。 そんな活躍された和尚さんでしたが、お弟子さんは四人ほどいたようですが住職に就くことなく寺を離れてしまったとのことです。その後住として二十七世正海覚道大和尚様が入られますが、前のお弟子さん当時に崩れた寺檀関係を修復できず、無住の時期が少しの間あったようです。]]></description>
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		<title>2011年11月法話</title>
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		<pubDate>Mon, 31 Oct 2011 15:18:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[秋もあっという間に過ぎ去ってしまいそうです。紅葉が盛りです。当寺も枝落としの後に伸びた欅の葉と、最後は銀杏の黄葉に毎日毎日落ち葉掃きです。 遅くなった農作業も一段落し、農業の県内祭典、種苗交換会が始まっています。この会がやってくるとお天気も秋から冬へ急展開です。いつもみぞれ交じりの寒い日が続くのですが、今年は少し落ち着いているようです。 一般の方も原発事故以来、放射能の有る無しが気になり、一つ一つ線量を調べてみなければならなくなったようです。遠い本県では影響が少ないようですが、ちいさな子供を抱えているお家では将来を心配して大変です。心落ち着けて生活できる日がいつ来るのか皆目見当もつかないようで、残念に思います。 秋は芸術の秋ともいわれます。秋田では秋田書道展があります。県内最大の書展で、小学生から一般まで、多くの出品で賑わいます。私も長年筆を握らせていただいておりますが、数年前より審査の方にたずさわっており、いささかの責任を感じておるところです。私の社中からも出品者があり、本年は好成績でした。長年の努力がようやく実を結んできたような気がします。弟子の上達は決して師の指導の腕ではないでしょう。 あるお経の中には、師が弟子に教えたことで弟子が後で実行するかしないか、また実を結ぶか結ばないかは、師の責任にあらずという様な意味の言葉があります。師は師として言うべきことを言い、書くときは書いて見せ、心構えを聞いてもらい、批評をし、直しを入れ、わがままなものです。それを弟子の人がいかに自分の作品に役立てるか、それはひとえに弟子の一人一人の努力、感性によるところで、師は何とも力を貸せる所はないようです。多くのものをつかんでくれた弟子は、長くやっているうちにいつか、それがひょこっと作品に顔を出してきます。その時がチャンス、作品の転換ができるときです。それを逃がさず捕まえてくれるとありがたいのです。師は弟子の何倍も書き込んでこそ、出してくる言葉、線の強さ、バランス等が出来るのです。弟子を持つと言うことは師自身の大きな勉強をさせていただいていると思っています。 人生もその通り、何事にも今書かせていただいたところがあろうかと思います。師弟はかくあるべきと思います。 ******* さて、お寺の話の続きです。先代が築いてきた境内、建物も一応一段落を迎えました。本堂の増築、庫裡、位牌堂と整い、さて落慶法要をどうしようかと言うことになってきます。建設委員会を通してのご寄付の中にはこの落慶法要の費用も若干あったのでしょうが、とても足りなかったようで、落慶と併せて晋山結制も行うこととし、新たな寄付を募り、倫勝寺としては久しぶりの大行事を計画いたしました。晋山（新しい住職がお寺に入る式）と結制（弟子の修行期間を承けての出世行事）と、さらに先々代（祖父）の退董（引退式）と落慶と、盛りだくさんです。お寺の行事としては最大のもので、おつきあいの比較的少ない私のお寺でも70～80人が集まった記憶があります。 式は前日の夕方から当日朝早くから昼過ぎまでと、次々と法要が営まれます。見所としては新住職（先代）のお寺に入るときの行列、さらに須弥壇上での問答など、さらに首座（私）の禅問答を交わす場面でしょうか。印象にあるのは先々代の感極まった退董の挨拶でした。あの頑固で気丈な毎日から涙は想像できませんでした。５０年以上の住職生活が一気によみがえったのでしょう。昭和４９年５月のことでした。私は大学２年生でした。]]></description>
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		<title>2011年10月法話</title>
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		<pubDate>Fri, 30 Sep 2011 15:08:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[　１０月になり、今稲刈りが盛んです。あと２、３日で終わるのでしょうか。９月の長雨で大分遅れてしまいました。しかし稲穂は凛と立ったままで倒れませんでした。ということは穂が軽かった様です。春植え付け後の分蘖が進まず少なかったとの事です。秋田はやや不良とのことですがこの様子だと不良かもしれないという声が聞こえます。少しは値が上がったのですが不作では何にもなりません。幸い秋田は放射能の影響がなく安全宣言がでましたが、残念な事です。天候不順なのでしょうか、キノコの出具合もいつもと違っている様な事も聞きます。 　１０月１、２日、愛知尼僧堂堂長、青山俊董老師が来能されます。ご縁のお寺での結儀に招かれての事で、我が第九教区の一般公開講座の講師もして頂く事になっております。青山老師は堂長として若い修行僧の面倒を見ながら御自身にも厳しい修行をかせ、御講演や著書出版にと休みなしに過ごされている様子です。私達もこうでなければというお手本のようです。御老師が動かれている所は、ことごとく他を利する行為、利他行になっています。笑顔で接する事が一つ、暖かいお心で美声で語りかける事が一つ、お会いした方々は大きな安心感を得る事でしょう。この度の講演会も「ほほえみと愛の言葉を」と題してのお話です。きっと拈華微笑の如く御老師と聴衆は皆微笑みで愛に満ちわたる事でしょう。楽しみにしております。 　※１０月２日（日）能代市プラザ都にて　１２時開場　１２時半開演 　さて、昔のお寺の話の続きです。先住が草刈りの他に手掛けたのが参道の整備でした。当時、本堂入り口から通用門まで１００ｍ位の道はもちろん未舗装でした。普通の雨の日には何とか地面に浸透していたのですが、大雨、梅雨の長雨、特に春三月の雪解けの後はものすごいどろんこ状態でした。雪解けの後は日が照ると溶けてどろんこ、夜は凍り、また朝に溶ける。といった状態で、なかなか乾くことがありませんでした。そんな参道を見るに見かねて砂利を敷くことにしました。あまりみっともない形になってはいけないと思い、使ったのはビリといわれる小砂利でした。川砂利の良い所を取った後の最後の一番小さいもので敷くとそれなりに綺麗に見えました。しかし軟弱な所に敷く訳で、あっという間に泥の中に入ってしまい、跡形もなくなります。それを年二回くらい一輪車とスコップで敷いていました。どのくらい続いたでしょうか。現在も半分は舗装されましたが雰囲気を出す為に半分は同じビリを敷いておりますので、４０年くらい続いているのでしょうか。短くなったので今は二年に一回補修するくらいですが、参道はだいぶ高くなり排水も良くなりました。これも先代の功労とありがたく思っております。]]></description>
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		<title>2011年9月法話</title>
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		<pubDate>Thu, 01 Sep 2011 06:37:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[九月に入り暑さも一段落でしょうか。お盆中より急に秋風が吹き出し、夏終わりの感もあったのですが、残暑がまだまだ。もう少し我慢の日が続きます。 秋風と共に新総理が誕生いたしました。代表選挙の時も「今政局争いの時ではない」「早く一秒でも早く助けてください」との声は止みませんでした。まさに復興事業は一党派だけで進めていく問題ではなく、国民全体で考えねばならない事でしょう。大連立でも何でもして復興事業に感しては、党派を超えて風通しをよくし、だれでも見えるようなことにしてもらいたいものです。政治は国民のためになることをやるべきです。自己を評価してもらうための政策で国民を右往左往させるようでは困ります。政治も宗教もしっかりした根が有ってはじめてみんなに支持していただけるものでしょう。我々曹洞宗はお釈迦様、道元禅師様、瑩山禅師様を慕い、学び、行うことが基本です。さて今の政治の基本は？ また先般、島田紳助氏が芸能界から引退いたしました。原因は黒い噂とのことですが、大きな決断であったでしょう。漫才から始め、最後はマルチ芸能人として，「頂点を極めた」と自ら言うが如く、思い通りに進んできた芸能生活だったことと思います。才能も評価されておるようです。 今のテレビ番組、特に夜のバラエティ番組は“うるさい”という感じです。見ていて面白いと思うときもありますが、終わってしまえば心に何の響きを留めることなく忘れてしまいます。何か心を打つものが少ない気がします。それもタレントを「おばかキャラ」として、知らないことに対する容赦ない攻撃を種に盛り上げてしまうことには辟易してしまいます。それでいいのでしょうか？子供達に与える影響も大きい事でしょう。人をけなして笑いを取ることはいかがなものかと思います。タレントさんもそれを承知で、バカになりきっている人もいるのでしょう。本来の頭の良さをもっと使ってもらいたいものです。 ***** さて、お寺の古い話の続きです。先代が教職を辞し副住職としてお寺に入りました。建設工事を進めると共に、力を入れたのが境内整備でした。通用門を入って参道の両側が墓地になっており、５～６月は人の背ほどの草（さしどり）が生い茂っていました。ご法事、お葬式があると檀徒さんがせっせと草刈りしていたものです。 先代は草刈り鎌で参道の周辺を刈っていました。サッサッと草を刈る音は小気味よいもので今でもはっきり覚えています。学生だった私も手を出したことが有ったのですが、「おまえに出来るはずはない」と相手にされません。またサッサッと刈る音よりジャリジャリと鎌を研ぐ音の方が長かった気がします。 庭もいつのまにかススキの原でこれまた大変。刈っても刈っても追いつきません。根を掘り上げるのも大変で厄介なものでした。そんな境内に手鎌で立ち向かっていた先代に頭が下がります。檀徒の方が刈り払い機を勧めていたのですが、機械扱いが不慣れだったのでしょう、私が修行から帰ってきてからの導入でした。その刈り払い機の横でもサッサッと音がしばらく続いていました。先代にとってそれが禅だったのでしょう]]></description>
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		<title>2011年8月法話</title>
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		<pubDate>Sun, 31 Jul 2011 15:10:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[法話暖心]]></category>

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		<description><![CDATA[　８月お盆の月です。お盆を迎えるにあたって７月は下準備の時、境内の草刈り、お盆の五如来札の作製と、精を出させて頂きました。後は檀家の皆様の個々のお気持ちで墓地も綺麗になり、すがすがしい気持ちでお盆を迎えられる事でしょう。 　今年の夏も暑いです。汗かきの私はついつい檀家さんの家へ行き「暑さは平気なのですがこの汗が」と愚痴ってしまいます。返ってくる言葉は「みんなそうだ、当たり前だ」です。私だけではなく皆が暑さと戦っています。今年は原発事故で電力状況が思わしくなく、節電が叫ばれています。家でも暑がりの私に“節電節電”と声がかかります。 　暑い日本をもっと熱くしたのがなでしこジャパンです。ワールドカップの大舞台で金字塔！女子サッカーを知らなかった人々も一日にして大ファンに早変わり。暗い気持ちを背負っていた人々にも久々の明るい話題でした。ひたむきにサッカーに集中していた選手自身が嬉しくないはずがありません。その選手達も「私が戦っているのではない、日本国中の人皆が戦っているんだ」という思いだったのでしょう。あえて国の為、苦しんでいる人の為にと振り向けてくれる気持ちはやはり“なでしこ”のなでしこたる所以でしょう。 　自粛ムードの後、次々と国内外問わず大きな大会が開催されだしました。世界水泳、甲子園、北東北インターハイも真っ最中。世の中を明るくする為に、力付ける為に色々な人が持つ個々の力を全部出し切った時、結果は別として心を打つものがあり、それこそが力になるのでしょう。私も暑いお盆を檀家の皆様と共に仏様の行として過ごし、例年の書展（六葉会書展）を通して私の生き方を示す事により、私の有る事の意義を深いものにしたいものです。 ***** さて、昔話の続きとなります。本堂建築が一段落しました。とはいえまだ向拝（玄関）もなく、開山堂も有りませんでした。二次工事の件は遅々として進まず、先々代住職も総代さん達も窮してしまっていたものでした。進まぬ工事に一石を投じたのが先代でした。残った寄付金が無くならぬ内にと一念発起、副住職として乗り出しました。 　当時学校の教師をしており、書を趣味とし、安定した気持ちであったのでしょうが、お寺の状況が許してくれませんでした。二足のわらじでそのまま檀家さんの気持ちをつかもうとしてもそれではうまくいきません。教職２０年でくぎりをつけ退職。と同時に二の足を踏んでいた役員さん達が〝このままでは申し訳ない〟との思いか建設に向け動き出しました。教職で培った人の掌握の仕方や事務のおかげで工事が進み出し、庫裏、位牌堂、玄関と６年間位で出来上がりました。昭和４８年の事でした。火災に遭ってから２０年の月日が経っていました。 　それにしても檀徒の皆様はお寺の内部（住職の生活）には敏感で、やる気を見せると応じてくれる、素直にお願いすると無理をしてでも応えてくれる。ありがたいものです。だからこそ住職は常日頃何をすべきかしっかり見据えていなければならないものだと痛感致します。]]></description>
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