2011年11月法話

秋も終わりに近づいてきています。境内のケヤキは赤く黄色く色づき、葉を落としています。赤くなる木と黄色くなる木があるのは何の違いでしょうか。朝起きると参道一面、綺麗に敷き詰められています。それはそれで大変綺麗なのですが、黙っておく訳にもいかず、毎朝作務三昧です。それも好天であればいいのですが、冷たい雨の日が多く中々はかどりません。これからはドウダンの紅葉、銀杏の黄葉が綺麗になります。

秋田県の種苗交換会が今年は仙北市で開催されます。この時期は天候が不安定で、当地でもあられの降る頃とされています。我が畑も冬支度を終えたところですが、農家の人たちには収穫のうれしさと共にまた農政が変わるという不安が大きいようです。長年続けられてきた減反政策の見直しがどうなるのか、TPPはどうなるのか。農家の方は働けばお金になる農政、安定した生活が出来ることが一番です。変革に左右され気候に左右され続けで、若者が農事に就いてくれません。あと数年、数十年で田んぼをやめる人は多いはずです。その時この地に農地としてどれだけあるのか、人口減で社会はどうなるのか、心配です。
いつ如何なる時でも自分のなせるものを信じていくこと、それが自他を利する事になるというのが禅の根底にあるとしても、心をつなぎ止めるものが欲しいのは、欲を外しても必要なことと思います。さて、農家の人の心をつなぎ止めるものは何でしょう。

師の書作に「何妨(何ぞ妨げん)」の茶掛けがあります。小品ではありますが、茶掛けにしますと上下がついて結構大きくなります。横長の紙に2字、大きな文字ではありませんが紙一面に伸びていく勢いを感じます。正にこの紙にはこの字でこの大きさでという理論がぴったりの作です。師がそれを考えて理詰めで書いたとは思えませんが、長年の勘で白黒の使い方の見事さには感服させられます。

何ぞ妨げん=どうして差し支えがあろうか、という意味です。日常でも使われそうな言で珍しくもないのですが、師は禅林語句として宋代の無文道燦師の印語録20巻の中から取ったものと思います。その語録の文を探し出せませんでしたが、師は何ぞ妨げん、我が道はこれだとでも言うように思うがままに書いたのではないでしょうか。木戸孝允氏も“大道行くべし又何ぞ妨げん”と言っているようです。こせこせせず堂々とした生き方こそ大事なのでしょう。あれもこれも良いものには何でも手を出すことは止めませんが、結局何も得られないものです。信念を持って行ずるものであれば一生続けられて、そこが皆に認められ、大道となるのです。最初からその人に大道があるのではなく、歩いてきた道が大道になるのです。その人その人によってその道は違っていく、そう思います。


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