2012年10月法話

仲秋の名月が終わると共に10月を迎えました。名月もほとんど台風で見ることが出来なかったようです。9月に入り残暑がことのほか厳しく、日に日に暑さが強まり、とうとう秋彼岸の前日まで続きました。秋田でも30度越えはざらで、最高36度まで上がったときがありました。どうしたことなんでしょうか。今までにはなかったことで、やはり温暖化がここまで目に見えるように進んでいるということでしょうか。今当地は稲刈りの真っ最中、お天気が良ければ作物は豊作かというと、一概には言えないようで、高温障害が出ているのではないかと心配させられます。作況指数は99とか、平年並みですが、思ったほど米粒は多くないようで、わずかな値上がりでカバーできるかどうか。秋田のあきたこまち、ブランド米としてこれからもおいしさでアピールし、多くの人に食べていただきたいものと思います。

そんな最中、母が亡くなりました。暑さも最後になったとき、病院からの早朝の電話で駆けつけてみると、呼吸が乱れ、チアノーゼが足指に出ていました。これは近いかと覚悟はいたしましたが、それから1週間危篤状態が続き、ゆっくりゆっくりと呼吸が止まりました。意識も無かったので、つらかったのか穏やかだったのか、本人は何も私たちに伝えることなく、静かな静かな最後でした。そのことが看取った家族の何よりの慰めになった気がします。

父が亡くなって6年、徐々に認知症が進み、持病の糖尿病のコントロールをしていましたが、1年9ヶ月前、昼寝から起きてこないのを見に行くと低血糖でうめいていました。それからというもの、認知症もどんどん進み、2日後には食事をすること、飲み込むことを忘れてしまいました。なんということでしょうか。点滴生活となり、さらには胃ろうとなり、1年9ヶ月食事の出来ない生活でした。楽しさも喜びも表すことすら出来ず、施設と病院の往復でした。母の頭の中を見てみたいと思ったことが何度あったことか。何もかも忘れてしまったようですが、私の顔と名前を一番に忘れてしまったのではないかと寂しく思っています。

それでも人間は呼吸をし心臓が動いている限り、何とか生きようとしていることで、お医者さん、看護婦さん、介護士さんの暖かい手助けで86年の生涯を終えることは、母も感謝の表し方が無くても思っていたことではないでしょうか。母の一生、お寺に嫁ぎ、戦後の苦しさ、そして能代の大火からの復興と、住職と共に歩み、檀家さんから「お寺のかあさん」と親しみを持って呼んでいただき、裁縫や畑と出来ることを毎日のつとめとし、さらには師の書道の相方として書作をたすけ、茶道を一生の楽しみとして数人のお弟子さんと共に一服を飲んでいたのが思い浮かびます。本当にご苦労様でした。そして私たちをここまで導いてくれて「ありがとう」と心から言いたいと思います。6年前に父を亡くしましたが、今回の母の方が何となく亡くなった悲しみが強く思い、ついつい葬儀での挨拶もままならなかったのが私自身思いもよらないものでした。

さて、次は私か。それまで十分に生きさせてもらおうと思います。私とご縁のある方々と共に。


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