2011年12月法話

本年もあと一ヶ月となりました。暖かい日が続いた11月も後半よりは雨やみぞれが降り出し、冬近しの感が強くなりました。頼んでいた庭木の冬囲いも先日すませ、雪を待つばかりです。

お寺の方も年末事務に入ります。この頃はパソコンでの処理なので打ち込みを間違えなければOKなのですが、それがなかなか進みません。年一回のことなのでその操作も忘れがちで、今では副住職担当になっています。パソコンだけでは顔が見えなくなってしまいますので、何とかつながりを持ちたいと思い、前段階では私も手をかけるようにしています。
新年を迎えるための事務、掃除を怠りなく行い、本年の苦悩、不安をすべて流してしまい、新しい年に多くの幸あることを願いたいと思います。

先般、落語家の立川談志さんが亡くなりました。才能に溢れていた方で、落語のみならず、司会に政界にと大活躍されました。今も続く長寿番組の笑点の初代司会は、落語家としての活躍でした。政治と大衆の架け橋になろうという志での政界進出、さらには既成の落語団体に満足せず、一家を立ち上げるなど、一般民衆を味方につけての大活躍の一生でした。大きな動きを生きる人は、その底にはきらっとした自分の存在意義を培っていかなければならないと思います。談志さんは古典落語での演は誰もが認めるものであったからのことでしょう。だからこそ毒舌と言われる談志節が通用することになります。

癌という病で言葉を道具とする落語家が声帯を失うことの無念さは、計り知れないものだったことでしょう。しかし最後冗談か本気かわかりませんが、なんとか院なんとか居士なる戒名を自分でつけた、というのはいただけません。戒名は戒を受けた人に授けられるもので、自分で勝手につけていいというものではありません。それをマスコミが声高に言うのもどうかなと思います。戒名を受ける為の授戒会の存在も広めなければいけないのかなと感じます。

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倫勝寺の昔の話です。当寺に第二十六世、無外玄鼎大和尚という方が歴代に名を連ねております。原田玄鼎さんという方なのですが、壇信徒のために観音様、地蔵様、お釈迦様などの掛け図を書いたようです。多くのものが残っていると思いますが、その作風は線画です。その線がすべて経文で、小さな字が線になるように書かれています。つまりお経とお姿が一緒に拝めるという事になっています。住職として壇務をやりながらの書作、大変であったろうと思われます。お弟子さんもあったと思いますが、経文とお姿に神経をとがらせ集中して書かれるというのは、並大抵のことではありません。

また、古くから続いている檀家さんには今なお玄鼎さんの書かれた過去帳が残っています。キレイな字というのではないのですが、一種独特の雰囲気があり、線には力があり、個性の強さが伺われます。当寺の参道脇には「大乗法華妙典寶塔」というのがあり、玄鼎和尚様が法華経を小さな石ころに1字ずつ書かれ、それを納める塔として建てたものです。題字もこれまたすばらしいものです。観音堂脇にありますので是非ご覧ください。

そんな活躍された和尚さんでしたが、お弟子さんは四人ほどいたようですが住職に就くことなく寺を離れてしまったとのことです。その後住として二十七世正海覚道大和尚様が入られますが、前のお弟子さん当時に崩れた寺檀関係を修復できず、無住の時期が少しの間あったようです。