2010年11月法話

 11月、暑さが過ぎたかと思ったらあっという間に雪の話になってしまいました。秋田では月初めには種苗交換会という農業の祭りがあり、本年は鷹巣地区で開催されます。本年は稲作が思うようにいかず、農家の方も苛立ちを覚えておる方もあるようで、この交換会も盛況になるのか不安があります。この交換会には必ずみぞれ、あられが降り荒れ模様というのが常で、天候には恵まれない時期なのでしょう。それでも11月小春、穏やかな日があれば儲けものと感じる日もあるのを期待しています。

 つい先頃、当地区寺院さんの護持会の研修会があり、30名ほどで県内の見所のあるお寺さんを拝登してまいりました。本年で3回目、県内、お名前とお顔は存じ上げてもお寺に拝登する機会は少なく、大いに目の保養をさせて頂きました。本年の3ヶ寺はことに印象が強く、その土地に息づく仏法の強さを感じられました。檀家数も建物も大きな寺院さんでしたが、それなりに守塔としての計らいが大きなものがあることと感じました。地区の心の拠り所としてドンと腹の据わった形と受け取れました。護持会役員の皆様の目にはどのように映ったのでしょうか。自分のお寺も〔あの様に〕と比べてしまった人もいるのでしょうか。地に足がついたものが一番です。相応のものをしっかり守ることこそ護持の精神でしょう。良い物を見せて頂いたら、その中身の良さを取り入れていければと思います。

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 さて倫勝寺の古い建物の時代の話ですが、29世住職は絵解きもしていた様で、地獄極楽図を掛け機会ある毎に説法をしていた様です。地獄図ですからあの世の凄惨な恐ろしい血みどろの絵だったのでしょう。
地獄に堕ちたらこの様にいじめられること必然。 「さあどうする!」
極楽に生まれることが出来ればこの通り。 「どちらがいいかな!」
六道世界が現実的なものかどうかは別として、有るとしての戒めとしては生きるという心の大きな支えとなることです。
では死後の世界を知ったら〔今、何をどうするんだ〕という誓いを立てての生活への導きをしたことでしょう。今はこの絵解きをする時もなくなってしまいました。

 また、お涅槃会になると3~4日前からお手伝いの人をお願いし、当日のお斎の準備をした様です。いわゆる山のもの、畑のものでの精進料理。参列の方も年中行事の一番の楽しみの様にして大勢の方が集まり、法要後はお釈迦様を忘れるほどの大騒ぎをした様です。本堂庫裏には地区毎に集まる部屋が決められており、毎年決まった部屋で決まった地区の人が決まった火鉢を囲んでいた様です。その法要後日もお手伝いの人の慰労で2~3日つめていた様です。
 今でもこの様になさっておる寺院さんも有るのでしょうが、当寺は比べると簡素に済ませているのが現実です。しかし涅槃会の精神は以前と変わらずにあります。昔話の様に書いているのは、私が伝え聞いたものを文としているので、この話の樣子は思い量ることが出来ないからです。寂しいものがあるのが事実です。詳しくは後日書かせて頂きます。まずはもうしばらく昔話になろうかと思います。