2009年6月法話

六月、桜、梅、ツツジ、モクレン、種々の草花、あっという間にこの世を荘厳し、無常の教えの如く散り去りました。今はサツキが盛りとなりつつあります。私の愛でる花で、盆栽に心うきうきしております。四月に畑仕事も始まり、年老いた母と共に鍬を持ったのでしたが、ようやく種まきしたものが芽を出し、早いものでそろそろ収穫の時となってきました。ああしろ、こうしろ、こうしなければと大声を出し合っての母との作業は単なる畑仕事ではなく老化防止のリハビリの感がしております。物忘れが日々強くなる母も、昔やったことはしっかり覚えており、ありがたいです。しかし今置いた種が何であり、どこまで植えたのかをその日に忘れている始末、ついつい大声になりますが、次の日にはけろっとしている母、言ったことに悶々とする自分が情けない次第です。

日本中、新型インフルエンザの話で大変です。メキシコ、アメリカでの発生時は日本はまだまだだと思いつつも、そのうち入ってくるだろうとは誰しも思っていたこと、実際に入ってくるとパニック状態、何かいわゆる世紀末でも来そうな、そんな雰囲気です。これが強毒性に変異し、猛威をふるい始めるときが来たら以前のスペイン風邪のようになるのでしょうか。この不況の社会情勢の中、生活機能を止めるようなことはいっそうの不安を大きくする要因になっているようです。日本中のマスクが品薄になり、発症例のない我が地でも売っていません。予防に勝るものはないとしても、冷静な対処が必要だと思います。いったん入り込んだインフルエンザはなんとしてもやっつけなければと思いつつも、全て無くすことは無理かもしれません。
ワクチンの開発、対応する薬の製造が急がれますが、これも一朝一夕にとはいかないようです。流行病はいずれ自分の身にも起こってしまいます。持ち込んだと言われる人が悪者になることだけはないようにしなければ。私以外の全ての人が菌を持っているという見方になってはますます不安が募ります。一人では生きていけないこの世、お互いを尊重し合い、その時には対処をしっかりしなければと考えます。

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さて供養についてですが、仏教徒として仏・法・僧の三宝、そしてご先祖様、死者の霊に、身・口・意の三つの方法で諸々の物をささげ資養することです。年回供養など計画している家では、誰か一人がそのことに携わるのではなく、家中の一人一人が、身、いわゆる体を動かし、一つのことを協力して行う。口、いわゆるお経などを唱える、聞く、お念仏を行ずる。そして意、三宝を敬う気持ちを持ち、亡き人を思い、自身を省みることに徹することがひつようでしょう。行ずる人、備える人の心、そして備える物、共に清浄なるものでなければ、また功徳なしとされます。そして種々の供養物には仏教徒の実践行とされる六波羅蜜の行を積むのと同じ功徳があるとされております。それを見てみましょう。

六波羅蜜の一つは「布施」です。布施にあたる功徳物としては水とされています。浄水、閼伽ともいい、汚れた物をきれいに洗い流してくれる、そのことにより穢れを落とすことができます。亡くなった人に、そして仏前にお水をお供えする行は、単なる習慣、風習ではなく、自信の不安の解消と共に実践行として尊ばれます。さらに水は万物を潤し、成長を促します。自身のことのみならず、宇宙にも地球にもなくてはならない物です。無駄にすることなく、心してお水をあげてください。この水はあたかも仏の大慈悲心として、人間の心を洗い清め、施しの心を起こさせる布施行とされています。


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