2008年10月法話

秋も盛りとなっております。実りの秋で、ほほえむ顔があちらこちらで見られ、心温かくなる思いです。

今年の稲刈りは予想以上に遅く、 なぜだろうと思っていました。昔は刈り終わるとハザガケにしての天日干しでしたが、今は乾燥機による作業です。その乾燥機のエネルギーは油です。そう、今 はガソリンはじめ油すべて高値の時です。早く刈り取るとその分乾燥機を長く動かさなくてはならないのです。今年は自然に枯れてゆきちょうどいいところで刈 り上げる、今までになかった発想です。
今までいかに消費が豊かな心の象徴とされてきたのか、愚かさに気づかされます。

同じこ とですが、近所の方丈様に何度も気づかされるときがあります。その方はいつも懐に書き損じの書道半紙を折りたたんだものをちり紙として入れています。自ら も書道をされていますが、近くの別の方丈様が練習として書かれた半紙をいただいて使われています。それももう何年分もたまっているとか。私の書き損じの紙 も何かに使わせてもらいたいと言われていますが、なかなか役に立ててもらうまでにはなっておりません。
現代の書家は皆そうでしょうが、一つの作 品を作るには相当数書いております。作品のほかの紙を残しておくことはしないでしょう。印を押していない作でも人の手に渡るといつか床の間にあると言うこ とがあった為と聞いております。人みなそうだとは言わないまでも、人目に触れる作は作家自ら納得したものにしたいという思いがあるのです。その思いがいた ずらに反古紙を増やしてしまいますが、その方丈様には「何馬鹿なことをしているんだ」と言われているような気がします。浪費せずに書がうまくなる方法があ ればなぁ…

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さて、般若心経の続きを見ましょう。

無罣礙-心に障りがな い、ということは、恐れさえもなく、夢幻を見る迷いの世界から目覚め、安らぎの境地に至ることができるとされます。我々が恐れというときには、煩悩に支配 されているが故の迷いの世界に引き戻される恐れということです。輪廻からの脱却を解脱と言いますが、六道輪廻すること自体が迷いの世界で、とらわれのない 心により涅槃(無上の安らぎ)となるのです。とらわれの心がある人は仏様の前に立って手を合わせてみても、仏様の慈悲であなた自身が仏であるよというメッ セージを受け取ることはできません。仏の教えで心を潤すことができず、もっともっと良きものがあるはずだと東走西奔してしまいます。そのためにも救いを求 めるにはまず、とらわれのない心での信を持つべきです。
仏の教えを信ずる人こそ救われるのが信仰であり、宗教の道と思います。よって自分だけ良 ければよいという思い上がりだけではなく、仏様の知恵による廻らしの心も大事なことです。そういう日々をつとめていくことが行であり、その根底になるのが 禅定でしょう。静かな心で自己を見つめ内省し、大きな自然に生かされる己を知り、愚かな行為をたち、善行を積んでいくことこそ菩薩として生きる人生です。