2008年9月法話

8月は、観音堂落慶式、お盆、六葉会書展、梅花県北大会と慌ただしくあっという間に過ぎていきました。13日お盆、暑さの中のお墓参りでしたが、14日 の豪雨で一変し、秋風漂う日が続きました。こんな八月も珍しいのではないでしょうか。蝉の声がぴたっと止み、秋虫の音に夜明け時は掛け布団を一枚増やして ぐっすりと休ませていただきました。

例年の如くの六葉会書展ですが、書人山田欅庵としては一年を通じて最も心わくわくの時です。13点 出品しましたが、いつもさながらミニ個展のようで、見に来てくださる人の心にどのように私の作品が映り、留まるのか心配と楽しみの入り交じった四日間でし た。六百人を超す人々が私の作品の前を通り過ぎ、声をかけてもらい、写真に収めていただき、その姿に安らぎが生じてくれればと願っております。この頃どう しても宗教関係の語が作品に多くなり、良寛さんの詩やらいろは歌やらと、書を通じて布教の場にしてしまっているようでおこがましいのですが、出品した作品 は”これが私ぞ”という欲のかたまりが見え隠れし、まだまだと実感しました。

そしてこの間、北京オリンピックが開催されていました。日本人活躍の競技には大きな拍手を送り、メダルを取ったと言っては大はしゃ ぎ、メダルを逃したと言っては原因追及。個人の積み重ねの集大成のはずが、日本日の丸と他国の国旗との戦いの様子に、オリンピック精神の行き過ぎとメディ アの容赦ないことばに辟易する思いです。もっと気楽に戦え、良かったね、残念だったねで終われるスポーツであって欲しいものです。努力を称えつつも敗者は 悪者ではないのです。中国の言う国の精神もあるのでしょうが、何が何でもという姿勢が政治的利用になっているのではと思えるのですがどうでしょうか。国家 的偉業を成し遂げ、国力を見せつけることにスポーツが利用されている感がします。それにしても、あのぎりぎりのところで肉体のあらん限りの力を出し切って 見せてくれた一人一人にお疲れ様、ありがとうと言いたいと思います。

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さて、般若心経の『無』『空』 ですが、我々は常に何か在る、いや何でも在るという物の見方、考え方により、そのものに対しての執着心や迷いが生じ、増長してしまうのです。しかし無、空 のとらえ方としては、自分中心の迷いの世界の徹底否定なのです。そこには否定しても否定してもまだ欲が顔をのぞかせる自己が見えてきます。その時こそ智慧 が見え、とらえ方が変わり、迷いの中での涅槃、つまり心の安らぎが生ずるはずです。それが煩悩即菩提、煩悩即涅槃の世界で、自分でできることをやっていこ うという考えに立つことができるのです。  我々は知らず知らずに欲の世界に入り、良かれと思ってしたことでも悪因となり苦を招くことがあります。自己の愚かさに気づき、善因を作ろうと努めること により、心静かな幸せに近づくことができます。今まで積んできた悪因の種は消すことができませんが、そのことをもあるがままに受け止め、あるがままに生き ることで、菩薩行という大乗仏教の精神を生き、救いと安らぎを得ることができるのです。